ドイツの「戦後70年」・・映画の窓から。

     ドイツの「戦後70年」          2015.12.03.記

 

今年も暮れようとしています。「戦後70年」と喧しかった年も。

この記念の年は、同じ敗戦国・ドイツにもエポックだったんだなぁ、と思う映画たち。今年の秋、4本のドイツを題材とした映画を見ました。

 私は相当なる映画好きでありまして、仕事で地方へ出る楽しみの一つが「映画を見ること」。東京にだって映画館は山程あるのですが、自宅がある街では、わざわざ出かけて行って映画を見る、というのは案外少ない。

が、旅先で仕事が半日単位だったりすると、まだ日が高いのに宿に戻っても仕方がない。そういう時は美術館か映画館へ、というのが京子流。

 

 まずは「顔のないヒトラーたち」。

 

あらましは、アウシュビッツ収容所のことを世に知らしめた、若い検事の物語です。実話らしい。

 ちょっと信じがたいことですが1958(昭和33年)当時、アウシュビッツの存在はドイツ国内であまり知られておらず、戦後13年、ようやく落ち着きを取り戻しかけていたドイツ人たちは、戦争の記憶を忘れたがっていたのだという。言って見れば「臭いものに蓋」の社会の雰囲気が、この映画の冒頭部分によく現れている。フランクフルト検事局の新米検事が、ふとしたことからアウシュビッツの存在を知ることから物語は始まります。若く正義感に溢れた彼が動き始めると様々な妨害、忠告(そんなこと今更ほじくり返さなくても・・)が渦巻く。検事という職は完全な役人ですから、彼の動きも危うく封じられそうになるのですが。それを可能にしたのが、フランクフルト市検事総長・バウアーです。彼はユダヤ系で、ナチの迫害を生き延びた人だった。

私は、映画大好きなくせに奇妙に怖がり屋でして、残酷なシーンがとっても耐えられない。自宅でDVDを見ているのであれば、あまりにコワイ所は早回しにするか、一緒に鑑賞している者たちが居たら、席を外して「もう、怖くない??」というテがあるのですが、映画館ではこれが鬼門・なんですよね。

この映画にも、随分心配したのですが、そう言うのはホンの少しで助かりました。 実際、自分の生きている社会が望まないこと、しかし、それをするのが正義だ、と感じたことを推し進める、というのはもの凄い勇気が要る。それだけでも凄いのですが、1963年、この若い検事と次第に彼の行動に感化される同僚たちの手で「アウシュビッツ裁判」が成立します。このことが、現在のドイツの戦争責任に対するスタンスを作る出発点になったのでした。

現在、ナチスの犯罪行為には時効がない、というドイツの姿の。

日本が同盟を結んで闘った国が犯した強烈な犯罪。私は生まれていなかったし、遠い極東の国、日本は一体どんな悪魔と手を組んでしまったかを知らなかった訳ですが、一つの記念の年にズシリと重い映画でした。作った人々に敬意を覚えました。

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 「2つの名前を持つ少年

 

一人のユダヤの少年が「死ぬな、生き抜け」と背中を押してくれた父の言葉だけを支えに、もの凄い戦争末期を生き延びる話。 最後に、現在もイスラエルで暮らす、実在の主人公が画面に登場する。

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ミケランジェロ・プロジェクト

 

これもまた、ふぅぅ〜と深呼吸してしまう映画でした。博多で。見終って宿へ帰るまでに原作本を買ってしまった!

 ヒトラーが犯した犯罪の中で、膨大な・本当に膨大な美術品の略奪、という側面があったことは、私の意識の中にまったく存在しなかった。当然と言えば当然ですよね。戦争というのは命の問題で、美術品なんか振り返っている暇があるものか、なんでしょう。日本でだって凄い貴重な美術品が戦争で失われているのでしょうが、(私たちが意識を持っていないだけで)京都が爆撃されなかった幸運もあって、日本人はも一つピンと来ていない。

しかし、旅好きな私がヨーロッパをあちらこちらとほっつき歩いて。当然のようにOO美術館、OO王宮、と尋ね歩く、そこで、素晴らしい「人類の秘宝」を鑑賞できるのは、命を的に美術品を守った人々がいたお陰なんですね。

ルーブルへ行けばモナリザが、フィレンツェへ行けばダビデ像が見られるのを当然!と思ってはいけないのです。これらを守る為に“身体を張った男たちのことを忘れては申し訳ないですよね。

ヒトラーの場合は、しっかり意図的に奪った。それも徹底的に。生まれ故郷のオーストリー領・リンツにかつて誰も実現したことの無い、とんでもない規模の美術館を建てることを夢見てといたとか。

ロスチャイルドを始め、ユダヤの金持ちの家は凄まじい略奪にあったそうですよ。私の親友の娘が結婚して住んでいる、フランスのシャルトル。パリから電車で1時間弱の静かな街ですが、大聖堂とそこのステンドグラスが大変有名。この大聖堂も危機一髪で残っているのだそうです。

 この映画の冒頭に出て来る「ゲントの祭壇画」もミケランジェロが完全に自分一人で完成させた、超貴重な大理石の彫刻「ブルージュの聖母」・・・

このベルギーの街へは2度も行ったことがあるのに、それらの作品を見ていない! 命のある内にもう一度行って来なくちゃ!!と思ってしまいました。(実現できるかなぁ〜〜)

とにかく、皆さんも見てみて下さい。映画・万歳!

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 「黄金のアディーレ」(名画の帰還)

 

これもナチに奪われたクリムトの名画を、オーストリー政府相手に訴訟を起こして奪還した女性、マリア・アルトマンの物語。

この絵は、写真を見れば誰だって「あぁ、知ってる」という有名な絵。ウィーンのベルベデーレ宮殿に飾られて「オーストリーのモナリザ」と言われた作品です。

長い頸に見事なダイヤの首飾りをした女性が描かれていて、余白の部分にふんだんに金が張られている。

映画の主人公マリアは、モデル、アディーレ・ブロッホ=バウアーの姪。幼い頃、叔母のアディーレに非常に可愛がられて育つ。ナチスに追われる過程で、この姪とその夫だけが本当に紙一重の幸運に恵まれてアメリカへ脱出することに成功します。

そして長い戦後の日々が過ぎて行き、82歳になってアメリカに暮らすマリアが、この絵の返還を求めて戦うプロセスと、その合間に挿入される、ヒトラーがどのようにしてユダヤの富を簒奪して行ったかが凄まじい。殺されることも(その殺され方も)恐ろしいが、平和に暮らしていた人々が、ある日突然、社会的なすべてを奪い尽くされるすさまじさに息を呑む。

「叔父がクリムトに画かせたのよ」と、事もなげに語るマリアの言葉から、彼女の家族の富のあり様が偲ばれるからなおさらに。

そして、一緒にこの映画を見た友人の「確か、クリムトの父親が金細工師だっのよね」という一言に、映画の冒頭シーン、金箔を見事な手つきで切断し、貼り付けて行く、作画の様子が納得出来たのでした。

 

因みに。この名画の貴婦人の首を飾っていた、目もくらむようなネクレスは、ナチスが倒れるまでゲッペルスの妻が所有していたそうです。大泥棒たち!!

 


J.S.Bach平均律ヘンレ版の改定

皆さん、J.S.Bachの平均律の楽譜は、どこの版をお使いでしょうか?

お考えは様々でしょうが、私は断然「ヘンレ版」を底本として考えています。

Bach平均律の楽譜は様々の出版社からの物があり、校訂者もいろいろあります。

私はかなりな種類の楽譜を持っており、場合に応じて参考にしていますが、

「底本」といいますか、まず、意見を聞くのはヘンレ版です。

 

最近、滋賀の唐崎の勉強会でのこと。5人の人間が集まっており、3人が

旧版のヘンレ、2人が新版を持っていたのです。「新版」をいつ買ったか、

と騒ぎになったのですが、大体2〜3年前のようでした。

 

で。平均律2巻の17番のフーガを分析していて、声部の解釈が大きく変更

されて居ることに気が付いたのです。複数の人が集まって、違う版を持ち

寄っていた事の幸せでした。

うわぁ〜お、驚きましたね。これほど大幅な改定は、私は出会ったことが

ありません。 

Invention & Symphonia で、小さな改定に出会ったことはありますが。

いやはや。 常々生徒に「楽譜・版の選定には細心であれ」と、エラそうに

言っていて、これに気付いていなかったとは、失策です!! 早速新版を

買いに走りました。油断大敵、です。反省を込めてのお知らせ!



嬉しくお勧め。 和声法・教えます!!土田スタジオ支部開設。

 今日は嬉しいお知らせです。

 

長年、私は東京・京都・大阪・博多 で、和声法、フーガの分析、楽曲のアナリーゼを講じ、又、ピアノの個人

レッスンをして参りました。

そうした仕事を通じて、願い続けて来たことは、私に代わって、あるい一緒に、「和声法を教える」ことの

出来る人を養成すること、でした。 熱心に勉強したくれる人、伸びしろの大きい学生さん・・いろいろな、

私を喜ばせてくれる弟子はおりましたが、なかなか「あなた、そろそろ教えてごらんなさいよ」の域にまで

行き着いてくれる人がいなかったのです。

 

が、この度、嬉しく皆様にご披露、ご紹介を致します。

私の仕事の拠点とは、かなり離れた場所で活躍している人たちである事が、私の歓びの一つです。 

私に習いたい、と云って来て下さる方々でも、お住まいが遠いと続きません。 

今回、ご紹介・お勧めする四人は居住地が私とも、お互いとも離れており、今まで、お問い合わせを

頂いてもなかなか対応出来なかった土地で、私の理想とする「音楽の基礎」を学ぶお手伝いを

してくれます。

 

「自分の弾いている曲を、きちんと理解して弾きたい」

「子供に教えるにつき、曲のこと、和声のなりたちのことを、自信を持って話してやれるように

なりたい」

「ヤマハ音楽能力検定」(通称・ヤマハ グレードテスト)の指導グレード4級に挑戦したい。 

       (きちんとした4声体和声を書く能力を要求されますから)

 といった希望をお持ちの方に、お勧めします。

 

 以下にご紹介、ご推薦申し上げる四人は、長く私の許でフランス流儀の和声法を学んで、コーチに

 当たるに十分な能力を備えておりますが、指導に当たって、万一、何か悩むようなことに遭遇した

 場合は、推薦人である、私・土田京子が、責任を持って応援に当たります。

 

 *  土田スタジオ 船橋支部

 

    千葉県船橋市      栗山講師  東京音楽大学音楽教育専攻 卒業

 

 *  土田スタジオ 滋賀・大津支部

 

    滋賀県大津市     岩坂講師   滋賀大学教育学部音楽専攻 卒業

 

 *  土田スタジオ 博多支部

 

    福岡市東区       吉松講師  福岡教育大学音楽専攻 卒業

 

 *   土田スタジオ 筑紫野支部

 

    福岡県筑紫野市    今村講師   福岡教育大学音楽専攻 卒業

  

   このご挨拶兼お披露目を致しましてから、3〜4ケ月の間に、何人かの入門者を

   お迎えして、各支部でのレッスンがスタートしています。嬉しいこと。

 

   以上、4支部での勉強をご希望の方は、当HPのお問い合わせ よりお申し越し下さい。

  

 



次々と!

この所、幸せな出会いが続いています。

 

どういうことかというと。ある日、PCを開くと「あなたの許で和声法を学び、以って自分の弾いている曲を自力で分析したい」

という、嬉しい希望が述べられいる。

私は本当に嬉しくなってしまうのです。これが、私が40年来望み続けて来たことだからです。

 

日本の音楽教育に、ひどく欠けていた事。それは「音楽において、技術と論理性は車の両輪だ」ということへの認識の不足です。

西洋音楽発祥の地ギリシャでは、学問のグループ分けのうち、音楽は「数学・哲学・音楽」という仲間に括られていたのだそうです。それなのに、それなのに・・・ 明治時代、怒涛のように流れ込んできた西洋文明。それはまず「軍事」への関心から始まった。

それはそうでしょう。一刻も早く産業を起こして国を豊かにし、軍艦を作って押し寄せるかも知れない外国から、国を守らなければ

ならなかったのですから。

西洋音楽流入史、をよくよく眺めて見ると。どうやら、音楽も一番初めは「軍隊の行進の歩調を合わせる為」とか、「一斉に行動を

取らせるための足並み揃え、又起床ラッパ」と云ったものへの関心から入って居ったようなんです。

 

しかし、次第に本質的な物への関心が芽生え、当時の秀才はヨーロッパで音楽を学んで帰朝。滝 廉太郎、山田耕作などの先人たち、又ピアノ、ヴァイオリンの奏者たちも続々と「西洋音楽」を学びに出かけました。

しかし、素敵な曲を書ける作曲家が出た割には、演奏部門の基盤を支える「楽器演奏を教える教師たち」に、一貫した理論教育を

与えなくては、と考えた先達は少なかったようです。

 

1945年、日本は悲惨な敗戦を経験しますが、音楽の面ではこれを境にそれまでとは比べ物にならない質と量で、「音楽教育」は

前進します。多量の楽譜という情報を我が国に伝えた(持ち帰った)桐朋学園の創始者の一人、井口基成氏。明治時代から日本で

唯一の官立音楽学校として、専門家教育を独占してきた「上野の音楽学校」(私の父なぞは"藝大"とは言いませんでした)に対して

桐朋学園が台頭したことは「戦後」の大きな前進でした。

 

しかし、戦後をリードしたこの二つの学校、又、戦前からあった伝統ある他の私立音楽大学に置いても、ほとんど同じレペルを

脱しなかったのが「音楽理論軽視」だったのです。

楽器会社の驚異的な台頭と、戦争からの復興が一段落した頃の国民の「文化的な物への憧れ」が見事に出会って、急激に勢いを持った「音楽教室」の群れ。そこではピアノが主役だった。そして「とにかく弾けるようにすること」だけが興味の対象だったのです。

 

でも。西洋音楽はその発生に置いて「思想を語る」ものであり、他の文化圏の人々が何世紀も掛けて構築し、磨き抜いて来た「思想・感情」を理解した上で演奏しなければ、それは「演奏」ではないのです。

 

私が大学を出て教師として働くようになってから今までの40数年の間に、一番変わったのは、この世界の先端を行く才能あふれる

演奏家が、その音楽表現のレベルの置いて世界のトップクラスに肩を並べ得る域まで進歩した、事が挙げられるでしょう。

 

これは本当に素晴らしいこと。しかし、私の関心はひたすら「普通の人々」に在るのです。標準的な音楽大学を出て、音楽教室で教えたり、個人で教場を開いて小さいお子さんを指導している人々。この方々こそが日本の音楽教育の最大面積を支えている訳で、彼等、彼女らに「音楽という車の両輪は・・」を心から理解して頂かなくては、私の切望する「聴いて解る・楽しめる・自分の意見を持った演奏」をする人は育たない。

 

そう思い、折ある毎に雑誌や本、自分の通信、今はHP、と書き、語って来ました。が、「誰も真剣には聴いてくれないや」と

ちょっとすねた気分になったり、いやいや人が聴いてくれないなら、聴きたいと云ってくれる人に出会うまで、かたり続ければいいのさ、と元気になったり。

そうした日々に、不思議やこの年末年始、立て続けに冒頭のように、私の家の「扉」をノックして下さる方が現れまして。

 

毎年恒例、「年末ジャンボが当たったら・・・」は常のごとく沈黙してしまったけれど、「こいつぁ春から、縁起がいいわぇ~~」

の酉年、となりそうです。

 

 



上田晴子プロジェクトin 滋賀

上田晴子プロジェクト in  滋賀 2016.

 

 そもそもの始まりは、私の上田晴子氏への傾倒でありました。

私が彼女に「一目惚れ」ならぬ「一耳惚れ」したのは、もう20年近く前のこと。自分が熱中すると、周囲に言いふらしまくる癖が幸いして、私の周りには沢山の「晴子さん熱病患者」が生まれた。そして「弟子」から更にその友人へ、と麗しい熱病は伝染して行って・・ 滋賀に活動拠点を置く二人の音楽教師がこの「晴子熱」を共通点として、彼女の姫路での講習会に通ううち、「我らの街でも、これが出来ないだろうか」と夢想し始めた。思い密かに姫路へ通い詰めることOO年。ある年、思い余ってポロリと「あのぅ、あのう・・滋賀へもいらして頂く訳には・・」このポロリから駒が出た。「せんせ、そりゃもう、エライ事がでけましてン」と電話を貰った私が驚いた。そりゃあ、まあ、よう発心したこっちゃ、と。 そして1年半の準備期間を経て201612月17日の公開レッスンと、18日のコンサートが実現したのです。 本当にこの二人の行動力は素晴らしい。そして「熱きこころ」の周囲には、その熱に突き動かされてくれる「熱きこころ」が。素敵な2日間でした。

 

まず初日。

 ‐5 の少女。バッハのインベンション・2声の2番。理解力に優れ、よく聴こえる耳を持った子で、将来が楽しみ。

◆ー匆饋諭ヽ擺鏖阿撚山擽擬爾旅峪佞気鵝ヘンデルのシャコンヌ

 大学2年生 ラベルの「鏡」から“蛾”

ぁ‖膤悖看生 リストの「バラード」

ァー匆饋諭(抒愧罎凌諭シューマンのソナタ g moll

Αー匆饋諭仝立中学の先生。  Vnとの合奏。 

ベートーヴェン・Vn Sonata No.8.1楽章

 

たっぷり、上田さんのレッスンを見せて貰って満足。さて、まだ明日がある! 何という贅沢だろう、と深く幸せな眠りを眠る。

 

12月18日 上田晴子の独奏を聴くという幸運。彼女はソロも素晴らしいのを私は知っているが、殆どの人は

彼女の室内楽しか聴いたことがないと思う。

 

・Brahms:  3つのインテルメッツォ Op.117

・Debussy: 「映像」から

      葉末を渡る鐘の音〜〜そして月は廃寺に落ちる〜〜金色の魚

2曲とも名演であったが、やはりDebussyの、あの繊細な音の色と、それぞれの性格を描き分ける「筆力」がすごい。

 

 休憩を鋏んでVnは「黒川 侑」。現在パリ在住の気鋭の若手であります。

上田さんの秘蔵っ子とも言うべき若者は、それは気持ちよさそうに、師匠のピアノとの自由闊達な“戯れ”を楽しんだ。更にサラサーテの「カルメン幻想曲」では、満開のテクニックを我々は満喫し、ラベルの「ツィガ―ヌ」は、見事な2人3脚、華やかに弾き切ったのでした。

見ていて、聴いていて、何とも爽快。演奏する、というのはこれ程楽しい事なのか、と思わせてくれる。聴いている方が燃えたって来、またほい、と地面に返されるようなスリルがあるのだ。素晴らしい若者とベテランとの競演に聴衆一同心から酔い知れた午後でありました。

 

 滋賀県栗東。京都からも少し離れたこの土地で、これ程までの音楽体験を提供して貰えたことを、本当に感謝しました。

仕掛け人二人、「意気に感じて」共に担い合ってくれたプロデューサー一人。そして、その周囲を固めた「助っ人たち」。

上田晴子さんから漏れた「本当に気持ちのいい方々に支えて頂いて、嬉しかったわ」の一言が、わが愛する軍団への最高の返礼であったと思います

 

奇しくも、この日12月18日は、私メのンンン回目の誕生日でもありました。

こんな素晴らしいプレゼントを頂けた誕生日は初めて。

有難う、皆々様!!!!!!!!!!!!!



驚異的な若者たち

 2016.9月3日。 とんでもなく素晴らしい若者の演奏会を聴きました。

 

Violin:  對馬佳祐(けいすけ)  Piano:  ジャン・ミッシェル・キム

共にまだ27歳。パリ国立高等音楽院大学院コースを終えたばかり。

 

この音楽会の4日前、8/29に本選が行われた「国際ルーマニアコンクール」で

他のすべてを抑えてグランプリを獲得したデュオです。

 

そもそもの発端は、我が敬愛する名ピアニスト・上田晴子さん(パリ国立高等音楽院

室内楽科+ピアノ科准教授)からの1本のメールでした。

「非常に優秀な二人の弟子が、日本で演奏会を致します。聴いてやって下さい。

忙しいあなたに足を運ばせても、決して後悔はさせませんから」というのです。

最後の1行がすごいでしょ?  あの、桁外れの音楽家に、こういう啖呵を切って貰える

お弟子さん、幸せだなぁ~~とまず嬉しくなり、私もあちこち宣伝。

 

加えて個人的な出会いもありました。ピアニストの自宅が、わが家から徒歩7~8分

というご縁。チラシの追加を手ずから持って来てくれた彼に、「ちょっと弾いて」と

厚かましいお願い。これがいいんだぁ!  すっかり応援団になって、切符売りにも熱が

入りました。「彼等は全部暗譜なのよ。あのエネスコまでも。」との合奏の師匠で

ある上田さんの言葉通り、ちょっと傍聴させてもらった練習でも、楽譜は一切使わない。

合せの練習って、我々だと、楽譜に書き込みがいっぱい出来て、必死に楽譜もにらみ、

相手もにらみ・・・になるものなのですが。

 

そして、当日。音楽の友ホールは追加の椅子が運び込まれる盛況。

演奏がすごかったんです。本当にガッキと組んだ二人の音楽が会場の空間を満たして。

 

* L.V.Beethoven   Violin  Sonata 「春」

* J.Brahms          Violin  Sonata  第2番 Op.100

* M.Ravel            Sonata Pour Violin et Piano

* G.Enesco          Violin  Sonata   第3番  Op.25

 

どれも熱演でしたが、殊に殊にエネスコがすごかった!! 誘った友人の評も一致して

そうでした。将に「火を吹くドラゴンのようだ」と思いながら聴いていました。

ラベルもよかったしねぇ。 帰り道、彼らの師匠・上田晴子さんとご一緒に電車で帰る

という幸運に恵まれて。「ラベルとエネスコはつい最近、卒業試験で弾いてますから、

特にみっちり取組めていますね」と伺いました。

 

いやぁ、演奏を聴いていない人に「よかった・すごかった」と言っても伝わらない、という

のも本当でしょうが、是非とも次の演奏会に足を運んで頂きたいのです。

對馬さん、ジャン・ミシェルさんのFace Book で日程は探せます。

 

私が聞いているのは、2016.12.21.  と 2017.2.2. 詳しいことはご本人へ。

 

 

 

 



少年たちの夏

中学3年生の孫がオーストラリアへ行くと言う。 学校単位の行事であります。

1週間という短い旅だけれど、生まれて初めての海外旅行は、最近の

我が家にちょっとした旋風を巻き起こしています。

 

私・この家の「おばばさま」は芯から外国旅行が好き。普段の諸々は節約に

相勤めてでも年に1度の海外見物につなげたい、という性格。しかし、まだ

14歳の少年が、区の行事に参加・連れて行って頂くというのは実に有難いこと

だと、一家で感謝。 しからば。必ず出るのが「日本文化紹介プログラム」

でしょう、というのでおばば様は張り切った、ネ。 

「一緒に行く子たちを呼んでらっしゃい」ということになって。折から、

もの凄い偶然なんだけど、夫の所へ料理を見習いに来ていた少年が同行グループの

一員である事が分かったのも「一服差し上げたい」の動機づけになりました。

 

さて、当日。175cmという見上げるような少年を含む、5人の少年少女が我が家に

やって来ました。中学3年の中心となる3人の少年に、「合流組」の中1と高2の

少女が2人。更にその母たちです。 全員、茶道の嗜みはほとんどない。

 

まずは、友人で英語のプロにチェックを受けた、英文での簡単な「茶道の紹介」を

皆で共有。あちらへ行って、何か聞かれた場合に備える。

そして、私の点前で薄茶を頂きました。 お茶の点前というのは、実演中に話を

するのはご法度。何故なら、人様に差し上げるお茶を点てているのですから、お茶に

何かが飛び込んでは大変ですから。 しかしながら今回は仕方がないので、横を向き

向き、「今、茶筅湯治と言って・・」と、動作の説明を加える。物の名前の解説と。

 

お茶の頂き方だけでも覚えて置いて欲しい、という日本における日常の願いと、外国で

「日本のこと」について聞かれたら・・の備えと。欲張った企画ですからこっちは忙しい。

 

でも、出掛けて行く少年3人は、実に吸収がよく、的確な質問をして来るし、おばば様は

大変嬉しく「ご機嫌サン」でありました。合流組少女二人も素敵で、美しくお茶を喫して

くれました。 

 

当今、茶の湯の世界も高齢化が激しい。元々、どちらかと言うと年配者が幅を利かせる

世界でありますが、私が若かった頃は(1960年代)「結婚前の娘の必須教養・その1」

であったのですがねぇ。各千家の家元でも危機感は持っておられるようで、様々、若者に

茶道を振り返ってもらおう、という試みはなされているようです。

が、なかなか一朝一夕には積み上がって行かないもののようです。私は実母が大変熱心に

励んでいたので、いつの間にか稽古をし、学生時代には強烈なスケジュールを縫って母の

師匠の許へ稽古に通った時期もありました。好きだったんだと思います。魅力はよく解って

いたのでしょう。

 

それにしても若者はいいですねぇ。爽やかです。まったく初めて茶席に座るのですから、

物慣れないのは当たり前。しかし、熱心に見習おうとしてくれるのが爽やかなのです。

少女たちも素敵でした。こういう若い世代と、お茶を稽古したいなぁ、としみじみ

思いました。 

 

お稽古の後は賑やかに食事。夫の出番です。この日のカレー・ライスは特段に美味しかった!

皆の華やいだ気持ちが、夫の鍋にも乗り移ったのでしょうか。

少年たちの健康な食欲がまぶしかった。こういうことも見ている我らを元気づけてくれます。

又、こういう会をしましょうね、と笑顔で散会。お茶を嗜んでいてよかったなぁ、と強く

思った夕べでした。

 

7月が終わる頃、彼らはどんな体験を土産に帰ってくるのかしら。その土産話がすごく

楽しみです。

 

 

 

 

 

 

 

 



久し振りの上田晴子、小林美恵とのデュオを聴く

2016.6.25. 待ちかねた音楽会を聴きました。

 

 わが敬愛する室内楽ピアニスト、上田晴子さんの演奏会です。今回のお相手は、互いを熟知している素敵なヴァイオリン・

小林美恵さん。

プログラムは「ドヴォルザーク: 4つのロマンティックな小品 Op.75」からです。

 軽やかに、匂やかに、二人は本当に楽しく遊んでいるような塩梅。自在な音楽の関わり合いが素敵です。

 

ベートーヴェン: ヴァイオリンソナタ 第10番 Op.96

  これは圧巻でした。 言葉でいろいろ書くことは難しいけれど、つい近日、上田さんにこの曲をレッスンして頂いた、という

若きピアニストが、休憩時間のロビーで私を見つけて「2楽章を弾き出された時、アレ?こんな風に弾けるんだ!こんな姿をした

曲だったんだ、って思ってしまって。涙が出そうでした」と言った言葉が、一番的確に、その日の演奏を語ってくれるでしょう。

 

気負う訳でもなく、さりとて流す訳ではなく。本当に互いを聴きあい、見つめ合ってするアンサンブルとは、こういうものなのね、

と。

 

ラベル: ヴァイオリン・ソナタ 「遺作」

 有名な、よく演奏される3楽章のソナタより、30年も前に書かれた、1楽章のソナタ。 ラベルらしく、緻密に書き込まれた

作品が、二人の名手によって解きほぐされ、二人して楽しみつつ、聴衆を一緒に音楽の歓びの中へ誘いこんでくれる。

「聴く幸せ」とは、こういうものか、と思わせてくれる時間だった。

 

フォーレ: ヴァイオリン・ソナタ 第2番 e moll Op.108

 この曲でもしかり。上田さんの音の色の豊かさ、リズムの自在! いつも相手の出方次第で「打てば響く」反応を用意

している、彼女の懐の深さが、小林さんの造形力と響きあって、本当に素晴らしい演奏だった。美恵さんの音の流麗さと

芯の強さ。相反するようでいて彼女に於いてはしっかりと、豊かに結びついているこの特質がまばゆかった。

 

こういう音楽会が聴ける、というのはなんという幸せだろうか。本当に感謝の気持ちでいっぱいになって、会場を後にした。

 

 

 

 



草津音楽祭を聴いて来ました。

  いささか、古い話になって恐縮ですが。

 2015.8月。随分前から行ってみたかった「草津音楽祭」を聴いて来ました。

きっかけは、博多で私の「和声法クラス」に参加している子が、フルートで受講する。その為に「受講曲の分析を見て下さい」と言って来たことでした。どおお? 皆さん。この私の「自慢の弟子」って素敵でしょ?

「だって、こんな素晴らしい音楽家に見て頂けるんですもの、曲をきっちり解ってからでないと、とても吹けないんですもの」と云ったのです。すっかり嬉しくなった私、彼女と一緒に一生懸命勉強しました。とても楽しい時間でしたよ。

 

そして、草津へ。この音楽祭では、参加・出講している音楽家が毎晩音楽会をします。私も着いた日を含めて3晩聞かせて貰った。そして、「わぉ!キャッ!と思った音楽家のレッスンに潜りこんだんです。普通は入れてもらえないらしいんですが、主催者側にちょっと知り合いがいたものですから。

 フルートの先生はカール=ハインツ シュッツ氏 という、ウィーンフィルのトップ・フルーティスト。まだ30代終り頃かと思われる若さですが、本当にいい演奏家で、私のこの楽器に対する認識を塗り替えてくれました。「フルート、ってこんな音のする楽器だったんだ」って。

又、そのレッスンが素晴らしい。毎朝、個人レッスンに入る前1時間「ウォーミング・アップ レッスン」と称して基礎の基礎、スケールを吹かせる。これがいいんですよ! 私のようにまるでこの楽器を吹けない人間が聴いていても「なるほど、そういう風にさらうのか」と思い、時々「君、そこ吹いて」と指名される受講生の小さな進歩が理解できるのです。そして、音楽的に絶対に譲ってはいけない所、基礎技術の「揺るがせにしてはいけない部分」を若い人に叩き込もうとしている。見ていて小気味がよかった。

後に。参加していた旧知のヴィオラ奏者、ジークフリート・フゥーリンガー氏と共に東京の自宅に来て下さって、一夜、夫の日本料理を楽しんだのですが、誠に人間的魅力にも溢れた方でした。

 

更に、ピアノのクラス。ここでは、3人の若い人を聴いたのだが、「基礎訓練をもっと積み上げてから、こういう人のレッスンに臨もうよ!」と心の中で叫んでいました。選ぶ曲が大曲過ぎるのです。(我が家への道すがら、フルートのシュツ氏とその話になりましたら、彼も、フューリンガー氏も口を揃えて「それは大きな問題だ」と言っていましたね。)それと、私が毎日自分のスタジオを訪ねてくる生徒に言い続けていることを言いたくなったの。

「ねぇあなた、ピアノの前に座る前にもっと楽譜と向き合って!」って。「楽譜」には、作曲家からのメッセージが詰まっているのですよ。

例えてみれば、これから舞台に上がろうとする役者が、その劇の筋立ても、自分がそこで演じる役柄も全く知らないで、(音符という)セリフだけを棒読みにしゃべっている。そんなことにはなりたくないでしょう? 

 楽器の無い場所で、「じっくり楽譜を読む」という習慣をつけて欲しいのです。

それに必要な道具が「和声法」! この曲の構成は?  転調はどこで起こり、それはどんな波乱を音楽に起こしているのか。この調、このフシ、この音型は何を言おうとしているのか。まずは落ち着いて考えてみて!と思いました。

先生たちのご注意、提案、アドヴァイスを受け止めるには、唯「さらう」、「指が廻るようにする」だけでは十分ではないのです。

「曲の内容をつかむ」準備をまず先に。 それから指の面倒を見て欲しい。

 来年は、もっと時間を取ってじっくりと参加したいと思っています。

そして、来年の参加を考えている若い人に提案。「受講準備会」をしましょうよ。ほんのちょっとの努力、「音楽を読み解く」準備を整えてから出かけて行ったら、そうでないより何倍ものプレゼントを講師の方々から頂いて帰れると

思うからです。

もう間もなく2016年が参ります。動き始めましょう!!

 

 



2015.ヨーロッパ二人旅・その パリ

 2015.6.6. ミラノの宿は中央駅のすぐ前で、そのホテルの窓から見下した所に、空港行のバスが停まっている、という素晴らしいロケーション。ゆっくりと朝食を摂ってからバスに乗ります。こういうのんびり、が可能なのが自由旅行のいい所。失敗も沢山しますが、ツァーにはない魅力です。さて、パリはシャルル・ドゴール空港に無事到着。バスで市内へ。今回初めてアパルトマンに泊まった。着いてみるとあまりの狭さにびっくりしましたが、凱旋門から歩けるという地の利と治安も悪くはないこと、値段との釣り合いを思えば文句をいえた義理ではない、と納得。目の前にスーパーもあって、ささやかながら「住むように泊まる」という夢も実現しました。

さあ着替えをして、東京で買っておいた「マリオ・ジョアン・ピリス」の演奏会に飛び出します。この会場で、ドイツはフランクフルトから私に会いに飛んで来てくれる弟子と合流しょうという、なかなかスリリングな計画。“Theatre de la Ville”という古い会場。有難いことに無事彼女は隣の席に座って待っていてくれました。この何とも古色蒼然という会場でピリスを聴く、と言うのも私が経験してみたかったことなのです。 というのも。パリには相当回来ているのですが、毎回「日本では見られないものを」と言うのでオペラとバレエばかりを追っかけていて、室内楽をじっくり聴くチャンスを作らなかった自分に気づいたからでした。

今日のピリスは、ジュリアン・リベール(Julien Libeer)という若い弟子との4手連弾を織り交ぜてのプログラム。この若者を世に出してやろうというのが眼目のようです。

まずは二人の F.Schubert:Fantaisie pour piano a 4 mains (f mineur) Op.103,D 940

この出だしのメロディーがピリスの手から紡ぎ出された途端、「あ〜、この音、この節を聴くだけでも、今日ここに来られてよかった」と思いましたね。何とも言えない音色なんです。曲全体もとても素敵。若者も頑張ってました。

次はジュリアン君のソロでRavel: Le Tombeau de Couperin. (クープランの墓)

これはどうも納得できなかった。ん〜、この曲、こういう曲だったっけ?っていう感じ。そして最後がピリスのソロでSchubert: Piano Sonata 変ロ長調, D 960.

まったく至福のひと時、でありました。

夫・倖三、私、彼女。三人三様の感想を胸に、とても満ち足りて帰って来たのでした。2年前にご主人の転勤で渡独した彼女は、とてもいいピアノを弾く人で、ヨーロッパでの生活をエンジョイしている様子でしたが、パリで室内楽を聴く経験を喜んでくれました。

6月8日

夫が前夜から発熱。疲れもあって風邪をひいたらしい。可哀想だが薬を飲ませて一人でお留守番してもらう。私は諸々予定した用事がありましてネ。切符の取り直しやら、東京の友人に聞いた素敵な図書館を訪ねるやら・・

そしてそのまま音楽会へ。場所は都心からは少し離れる「パリ国立高等音楽院」の構内にあるホールです。私が毎年ペリグーの講習に通う道すがら、ジャン・ジャック・カントロフやミッシェル・アリニョンのレッスンを聴かせて頂きに通った懐かしい場所。6年来なかった間に、この構内に素敵なコンサートホールが二つ出来ていたのです。

この場所を見ることも今回の楽しみの一つでした。ここで私は一つミスをした!開演時間を1時間早く思っていたのでした。翌々日・6/10に行く予定の会と勘違い。で、着いてみれば「あと1時間半あります」という状態で。まぁ、近くのカフェで時間をつぶしてもいいのですが、これもチャンス、と公園にもなっているこの辺りを散歩。こういう「パリでひとり」という時間は素晴らしい。ものすごく解放感があります。(なにナニ?普段は解放されていないのか、って?フフフ) 折から抜けるような青空でしてね。ジュン・ブライド(6月の花嫁)という言葉がありますが、梅雨のないヨーロッパでは6月は最高に気持ちの良いシーズンなのです。人影もまばらな大ホールの広い前庭に座って眺めた青空が忘れられない。

そうこうする内、室内楽ホールも開場。しかしまぁ、なんという世の中の進歩でしょう。当節の音楽会には「入場券」というものが無くてもいいのです。日本からネット予約し、プリントアウトした予約券にあるQRコードを、おニイさんがチャっと読み取っておしまい。まあ、便利というか味気ないというか。6/8のピリスの時は、受付で本来の入場券に取り換えてくれたのですが。昔はこの「入場券」に意匠が凝らしてありまして、思い出にとせっせとファイルしていたものでしたが。

さて、本日の会は。とても面白い企画なんです。演奏はミュンヘン室内合唱団と室内官憲楽団。指揮はアレクザンダー・リーブライヒ(A.Liebreich)


Pascal Dusapin 

(1955〜)という気鋭の作曲家(ナンシー出身。美術科学芸術学美学ソルボンヌ大学で学ぶ。フランコ・ドナトーニの指導で1970年代中葉よりヤニス・クセナキスの講習会に出席した。この時期に「線的」な作曲技法を極めた。

1981年から1983年までローマ留学。1993年から1994年までリヨン国立管弦楽団のコンポーザー・イン・レジデンスに選任される。1979年にエルヴェ・デュガルダン賞を、1993年に芸術アカデミー賞、1994年にSACEM賞交響楽部門等を受賞。東京音楽大学の招きでマスタークラスを開催してもいる。

コレージュ・ドゥ・フランスの開講講義を行った音楽家の2人のうちの1人であり、トロンボーンとオーケストラのための協奏曲「Watt」でUNESCO大賞を受賞した。)

「Disputatio」という作品。これがとてもとても面白かった。演奏がいい!合唱というのは何と凄い音楽素材なんだろう、と思いましたよ。 合唱が「〜〜」とたたきつけるように歌う。残念ながらドイツ語の歌詞は全く解らない。が舞台の壁面にフランス語のキャプションが写し出される。私のフランス語でもあらかたの見当はつく、宗教的な内容なのです。「死とはなにか!」「神とは何か!」なんて具合で。オーケストラとのバランスもよく、これはヨーロッパでも一級品だな、と。

更に、この「超現代」の作品と、フランスではもはや古典であるMaurice Durufleの"Requiem"を対峙させてという企画。すごいことをやるなぁ、とという実感。おまけにこのMaurice Durufleの"Requiem" は、若き日の私にとって大変思い出深い作品でして。何とかお終いまで聴きたかったのだが、50分ほどの地下鉄と、23:00を過ぎた凱旋門からの暗い道を考えると、散々迷った挙句、安全を選んで"Requiem"を諦めたのでした。倖三クンの風邪が恨めしい。夫付ならメトロも道も何の問題もなかったのですが!







  



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