2日間の自由

2016.7月31日。 初めて金沢新幹線に乗ってみました。きっかけは、親しくして頂いている「東本願寺・法主裏方」大谷

祥子さんのお誘いを受けて、金沢で行われる「飄逸の本願寺上人・大谷句佛」の講演を聴く為でした。語り手は哲学者・宗教学者、

山折哲雄氏。大谷句佛上人は、祥子裏方のご主人、大谷暢順氏のおじい様に当たる方です。 東本願寺を率いる宗教者であった一方で、生涯に2万句の俳句を遺した俳人であり、我が恩師・池内友次郎の実父、高濱虚子の愛弟子でもあられた。

句佛師のことは、その魅力的な俳画のお軸を通して以前から存じ上げていて、興味は持っていたのです。

しかし本願寺お上人の、そうした「趣味人」の一面に深く触れるチャンスもなく打ち過ぎていました。

 

私の師匠・池内友次郎は、高濱虚子の次男としてお生まれになりましたが「自分は新しい世界で」と若くしてパリに学び、日本に

初めてフランス風儀の音楽理論を伝えた人です。

彼自身、相当なレベルの俳人でした。

 

そんな師匠に、音楽上しごかれまくった青春でしたが、レッスンの合間の「問わず語り」にしばしば父上が登場したお蔭で、

私は一度もお会いしたことのない俳句界の巨星・高濱虚子を何だか親しい方のように思い描いてしまうのです。

 

友人に「ハイキングに行かない?」(俳句ing・だった!!)と騙されて始めた私の俳句歴も25年を越え、ますます俳句の

重みも、楽しさも解って来た所。

そしてたまたま、月例の京都・大阪・博多への仕事旅にくっつけられる日程であったことも幸いして、出掛けることにしたのでした。

 

 金沢は、オニのように働いていた現役時代、仕事を頼まれると実に行き難い街でした。汽車の便はよくないし、飛行場からも

遠い。行ってみれば大変魅力的な街なのに、さっと行こう、と思えない街だったのです。しかし、新幹線の威力というのは

スゴイ。東京からたったの2時間半!! 驚きましたねぇ。とても近くなった気がします。

 

講演は素晴らしく面白くて、ノート5ページが埋まる内容の濃い2時間。エラい学者さんの話は、大方つまらない、解り難い

もの、という気持ちはあったのですが、山折氏はまったく違いました。とても内容が濃く、しかも解り易いのです。

 

大満足で懇親会に臨みました。いろいろな方とお話をし、藝大の後輩にあたり、筝曲演奏家でもあられる祥子裏方のお弟子さん

(当日、合奏した)が、私の同志社で教えた学生の従妹である事が解ったり、「世間は狭いわねぇ」で盛上がって。

誠に充実の一日でした。

 

さて、翌日。かねて行ってみたいと念願していた、真宗・北陸の拠点「吉崎御坊」を訪ねました。ここは本願寺八世・蓮如

上人が、京都での諸事情からこの地へ来て伝道に務めた土地。北陸一向宗発祥の地となった所です。記念館の展示、ご説明も

面白く、上人の書を拝見出来たのも眼福でした。

 

とても交通の便が限られている土地なので、周遊バスを逃しては大変です。時間を気にしながらですが、「北前船記念館」を

見学。 江戸時代の水運の重要さを感じました。

 

「JR加賀温泉駅」から特急サンダーバードに乗って京都へ。 ここでは、久し振りの同志社時代の元学生や、京都の個人的な

古い弟子と久々の「女子会」!こういうのんびりした時間の何と美しい事。普段は動き回っても、仕事しかしていないのですから。

 

わずか2日間でしたが、とてもいい「命の洗濯」になりました。 歴史の教科書で習っていても、その土地を訪ね、その土地の

空気を吸って見る、考えることがとても大事なんだ、と改めて思いました。   2016.8.5. 記

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



ポーランドという国

何だか、遊び歩いてばっかり、で恥ずかしいんですが。2016.1.23〜30.
ポーランドへ行って来ました。

これも人とのご縁でして。ある友人が「ポーランド航空が成田に直行便を
乗り入れるキャンペーン料金でね、凄く安いツァーがあるので行ってくる」と
話していたのです。ウーム、ポーランド。アウシュビッツ強制収容所
ミュージアムが予定に入っているという。 
私はとてもポーランドへ行ってみたく、このミュージアムにも行って
みたかったのですが、個人旅行で旧共産国の中でももう一つ西欧化のテンポが
ゆっくりなこの国へ行くことに自信が持てなかった。
更に、アウシュビッツへの道順を何回か案内書で読んだのだが、はて、個人で
行くのは難しいのでは?との思いが強く、今まで実現していなかったのでした。

これはチャンスかなぁ。万事「ひらめき人間」な所のある私。一人友人を誘って
参加を決断。家族や周囲の者たちは「この極寒の時期にぃ?」とあきれ、中には
「零下30度になる事もあるって言うわよ」なぞと脅す者もおりましたが。
30度はオーバーとしても零下10度には本当になるらしいです。この時期。

しかし、結局行ってよかった。
その理由は。私は「パックは嫌い」と決めつけていましたが、パックツァーにも
利点はあるのです。まず、今回のプランは極めてよく計画されていたことと、
添乗員の質が高かったこと、現地の日本語を話すポーランド人通訳の優秀さです。
個人では到底出来ない旅でした。勿論、やや強行軍のバス移動だとか、見物箇所で
「もっとゆっくり見たいナ」と思う場所もあったとか、ディメリットもありました。
しかし、アウシュビッツ・ミュージアムに行けたのは、ツァーでこそでしたし、
ここの日本人ガイド・中谷 剛氏の案内には心を打たれました。

本や映像で、幾度か見ていた展示物でしたが、現物を、その場所・とんでもない
事が行われた将にその場所で、自分の目で見るという体験は、ちょっと言葉に
し難いものでした。 自分が生まれた年、出生の11か月前に終わった悪夢。
おまけに我々が訪ねた2016.1.26.は、アウシュビッツ解放71年記念日の前日
だったのです。「明日の10時には、この場所にこの収容所の生き残りの方々と
その親族が世界各地から集まります」というスピーチ。「その最も若い証人は
今年71歳。解放の直前にここで奇跡的に生まれた赤ちゃんです」との説明。

何とも言葉を失う。誰一人、所内を歩きながら言葉を発する人はありませんでした。
休憩・質問の時間までは。

そして出発の朝、ホテルから歩ける距離にあった「ワルシャワ蜂起記念館」。
3度も「地図上からポーランドという国か消された」という歴史を知らされると、
日本という国の地理・地勢上の幸運に思いが飛びました。私自身は純粋な
戦後生まれ。しかし、戦争の真っ只中を生きた親に育てられた世代です。
決して同じ悲劇を見ない為に、もう少し自分の国の過去についても、ポーランドと
その周辺の国の歴史についても学ぼう、と思わせられた旅でした。
 


25年ぶりの台湾を旅する

2015年12月21日〜24日、3泊4日の台湾への旅をしました。
私共の俳句の友人で、中国語を熱心に学んでいる人がいます。
この方の発案で、我ら夫婦ともう一人の女性が加わっての道中です。
飛行機と宿だけを取って、後はのんびり、台北市に焦点を絞ってウロウロ
しよう、という計画。これまでの私の海外旅行は、プランを立てるその時間が
もの凄く充実している。将に目を血走らせて時刻表やら案内書と首っぴき!
だったんですが。

今回は「ホントに明後日出発なのぉ?」と、同居の孫たちが訝しがる程のんびり
構えていました。この「きっかけつけてくれた人」の面倒見のよさ!
我ら夫婦に+1の彼女も、皆で「OOさぁん、どうすんの?」と、母鳥の狩りの
成果を大口開けて待っている「燕の子」状態。
生まれて初めて、「人様に連れて行ってもらう旅」の醍醐味を味わいました。

早朝の羽田空港を飛び立ち、台湾・松山空港まで正味2時間半。空港からホテル
までは車に乗ったと思ったら降りる、という至近距離。まだ午前10時です。
いいですねぇ、近いってのは。荷物を預かってもらってすぐに、地下鉄で「故宮
博物院」へ。ここがお目当ですから。私は25年位前、年上の弟子一人と「女二人
テクテク旅」を致しました。しかし、台湾への二人旅・はあまりお勧めで出来
ません。その訳は食べ物。やはり中華料理は沢山で食べないと。ねぇ。

「故宮博物院」も平日の午前中とあって、比較的楽に見物出来ました。
少し前に、日本にやって来て巡回した同院の「宝物展」のお蔭で、NHKが
丁寧に作ってくれた解説番組を見ていましたから、種々の展示物の見方も解り、
助かりました。

何せ、早朝の出発であった為に、一同お疲れが。そこで一旦ホテルに引き上げて
ひと眠りしてから、夕方街へ出よう、と一決。料理人である夫の一番の楽しみは、
「街歩き・・食べ歩き」だからです。
我らが「案内人殿」は、昨年、1週間の語学研修に台北にご滞在。ですから情報は
ホットです。あっちの角、こっちの街並と美味しそうな屋台を冷やかしては、
ちょっと一口喰い! これって最高に楽しい。
仕上げに入ったお店が、いわゆる「台湾小皿料理」で、おいしかったなぁ。
こういう場合の店選びには、夫の“鼻とカン”が活躍します。

面白いことに台北では、酒を出すのはしっかりした構えの「レストラン」であって、
私たちが食べ歩く「屋台風」の店では酒を飲ませない。何か法律の規制があるので
しょう。そこでたっぷり楽しんだ後はホテルヘ戻ってワイワイ・ガヤガヤ「部屋呑み」
を楽しみます。有難いことに、台北では日本のBSテレビが見られますし。

二日目。人気の「九份」へ出かけました。幸い快晴に恵まれて、歳の暮れだというのに
暑いほどの陽気です。これは楽しいイクスカージョンだった!いろんな面白いものに
出会いましたが、わたしが最も興味を惹かれたのは、日本統治時代の「金鉱山の跡」
でした。大きな鉄格子で閉じられた向うに続くトロッコの線路。草むしたその風景に
戦争・を思いました。

三日目。案内人殿と夫の事前の相談に従い、「台湾大学」へ。夫の願いは「外国の
大学の学食へ行ってみたい」というものでした。
台湾大学は、日本統治時代には「帝国大学」であったのです。今でも台湾第一の難関
校だとか。折しも、我らが行った時は昼少し前で学生さんがどっと授業から食堂へ。
明日はクラスマス・イヴ、日本では「天皇誕生日」(ここでは関係ない・ですね!)
ですが、どうも台湾では「春節」こそ大騒ぎだが、クリスマスはさしたる事もない
らしい。デパートなどに飾られたクリスマス・ツリーは華麗ですが、あれは商売用
という事のようです。大学には常の日々。 食堂にやっと席を見つけて、男たちが
買い出しに、女二人は席の番兵。運ばれてきた「お弁当」には山盛りの料理。
流石は世界に冠たる食いしん坊の国の、将来のエリートたちを養う食べものたち!
何でも、100gいくら、で夥しい種類の料理が並んでいるのだそう。均一値段だから
思い思いに器に盛りつけて、重さを計った貰って支払う、というシステムなんだ
とか。食事の跡で「おまいさんも見て来いよ、後々の土産話に」と促されて女二人、
見学に。確かにどれもこれも食べてみたい、と思う美味しそうなおかずたちでした。
お値段は安い!! いいわねぇ、学生さん。

デザートのアイスクリームを頬張っていたベンチで。ふと見ると立派な図書館があります。
「へぇ〜。立派ねぇ。入れはしないでしょうねぇ」と私。「聞いてみましょうか?」
と案内人殿。で、入れたんです!パスポートを預ければ。
私は「入った所で、何も読めはしないんだけどさぁ・・」と思いながら、唯、立派な
建物と、静かな雰囲気を楽しんでいた。と、「四庫全書はあちら」の看板。
えっ?四庫全書?そんなものが、ここにあるの?と飛び上がる思い。勿論、私には
「猫に小判」の最たるもの。でも、でも。清の最盛期を築いた乾隆帝が、広大な
中国の隅々まで使いを送って集めさせた、という世界最大級の叢書である、という
事は学校で習ったことがある。 ちょっとドキドキするじゃありませんか!

件の書庫の前に立つと、シンとした気分。まずは「経」の部門の手近なものを手に取る。
開いた所で読める訳もなく(楷書の漢字が並んでいるのですから、字そのものは読めますが
ねぇ・・)でも、何だか勝手に満足しておりました。すごいよねぇ。コピーだなんて
しょうもない道具は無い時代です。みんな、手で書写したのですよ!ここにあるのは
そのまた、写しなんでしょうけれど。“台湾まで来た甲斐があったぁ〜〜”と思いました。

更に。台湾大学では面白い出会いがありました。校内を歩いていたら「ピアノ倶楽部音楽会」
のポスター。それが何と今夜(12/23・18:30開演)なんです。わが「案内人殿」も
趣味でビオラを弾く、という人ですから「聴きに行こ・行こ」と即決。疲れてしまって
「ホテルで休んでる」という夫を除く3人で出かけました。
いやー、面白かったですよ。台湾で聴く、学生さんの「西洋音楽」。楽しい旅でした。

























 


ヨーロッパふたり旅ぁ.蹈鵐疋鵑屬蕕蠅屬蕕

 ロンドン ぶらり・ぶらり

2015.6.19.にカンタベリーからロンドンへ移動。この国の電車の料金システムは、実に煩雑!乗り方でひどく値段が違うのです。カンタベリーに滞在中の友人のガイドがあればこそ、何とか値段と時間の釣り合いを取り、不慣れな我々でもこなせる時間帯などを見つけられたけれど、唯の旅行者であったらとてもとても・・・

このイギリス式合理主義は凄いと思うけど、やっぱり日本式ゆるやかさが懐かしい。友人曰く、「物事の枠組み、システムを作ることにかけては世界一、の民族がイギリス人です」と。このやり方に適合するのに必須なのは、PCと決してあきらめない熱意。住んでいれば、自然に慣れて行くのでしょうがね。

 我らのロンドンでの宿は、これもこの友人の紹介で知った「日本人が経営する一戸建ての宿」。東京で言うと、山手線のターミナルから156分私鉄に乗った所という駅から徒歩4分。閑静な住宅街の素敵な住宅でした。部屋はゆったりとしたスペースと、長期滞在者には嬉しいであろう、たっぷりの収納付。

階下にはとても広いキッチン+ダイニングと、日本語の本がぎっしり詰まった書棚のあるリビング。これじぁ住みたくなってしまう。ロンドンでゆっくり過ごしたい方には、とってもお勧め、の宿でした。お値段も、この状況にしてはリズナブルですし。

さて、朝食の買物と思って駅の反対側が賑やかそうなので歩いてみると。ポーランド食品屋さんの多い事。東欧出身者が多いのは、歩いている人の顔立ちからも解る。

又、あちらこちらに「ハラル・ミート」の看板。後で同宿の人に教えてもらったのですが、これはイスラム教の定めに従って屠殺された肉、イスラム教徒が食べてもいい肉ですよ、という意味なんですって。つまり、イスラム教徒が多く住む地区だったのです。異国情緒満点!

スーバーに入ってもキョロロキョロしっ放しの私です。我らの宿へ行く出口方向は、まったく白人しか歩き進んで行かないのに。すぐ近くなのに、ブロックで、はっきり住む人の雰囲気が違う、というのが我らにはとても珍しかった。

 今まで20回近いヨーロッパほっつき歩きを経験して来ましたが、いつも10人近い人数で、主として音楽の講習と夫の料理をするのを目的とした旅でした。今回は初めての二人旅であることから、パリでもロンドンでもこうして自分で料理が出来る、食の自由度の高い宿を使った。という事は、スーパーでも土地の人の食生活にぐっと近づくことが出来た訳で、これが私にはとても面白かったのです。このロンドンの宿では、最後の2日間、同宿の方々との「さよなら日本食パーティー」を夫が提供。盛り上がりましたねぇ。 近況報告をしたカンタベリー在住の友人からは、「折角、倖三さんと四日も暮らしたのに、ここの台所を借りる交渉をするんだったなぁ。彼の料理を食べられたなんて、ロンドンの見知らぬ同宿者がしみじみ羨ましい」とのメールが帰って来ました。

ホント、あんなにお世話になりまくったのに、夫の料理、という何よりのお返しをして差し上げられなくて、申し訳ありませんでした!!

 

 さて、ロンドンでは。まず第一の用事は現在私が深く関わっている「英国王立音楽検定」の本部を訪ねる事です。出発の直前に日本での検定が有りまして、ロンドンから来た検定員の通訳を務めた。その彼女が書いてくれた地図を頼りに中心街にある本部を訪ねました。BBC本社の目の前にあるそれは、なかなかセキュリティーの厳しいビルで。約束してあった日本との折衝担当の青年は、愛想よく我ら夫婦を迎えてくれました。小1時間の「表敬訪問」を終え、この検定のテキストの展示・販売状況を見ようと、「ロンドン・ヤマハ」へ。

何だか懐かしいような気分です。東南アジア・ヤマハの最大拠点であったシンガポールのオフィスで、5年間、毎年3週間の強化合宿訓練を担当した頃を思い出しました。しかし、ヨーロッパ、殊にイギリスでの日本製ピアノの販売と言うのは、想像していたよりもはっきりと「高級品扱」なんです。ヤマハは。

へぇぇ〜、という感じ。日本よりずっと高い値段で売られている!40年以上前、英連邦の一員・カナダでの情景を思い出しました。当時のトロントでは、ヤマハピアノなんてとても買えない値段でしたよ。「運賃払って持って行って、思いっきり弾いてから、売っていらっしゃい」と勧めてくれた友人の言葉に眼をまん丸くして、(素人が使い古しのピアノを売ってくる?そんなの無理だわ)と思って持たずに出かけた20代の私。本当に後悔しましたもの。まぁ、これは昔話ですが。

 この帰りに入ったヨルダン料理の店、というのが意外に美味しかったんです。世界には実にいろいろな料理があるものなんですナ。

直ぐ近くに「Sushi shop」(持ち帰り専門)があったので覗いてみると。日本人に見えた店員は韓国の人で、値段は手軽なテイクアウトの店にしては「う〜ん・・」といった感じの強気値付け。ここでも「日本食は高級」ムードの名残が感じられました。うまい商売をしています!

 さて、6月21日、ロンドンの“Barbican Hall”でロンドン・シンフォニーの「第九」を聴きました。現今のネットの威力は素晴らしく、日本の自分のPCからさっさとこの日の切符を買うことが出来るのです。

地下鉄を降りて、Baebican Centerを目指します。ちょっとウロウロして、でも行き着いた。外国の音楽ホールへ出かけて行く楽しみの一つは。女にとってその国、その街の女たちのコンサートファッションを見ること、というのもあるのです。オペラハウスだとそれは一層際立ちますが、ロンドンのオーケストラは、思ったよりも「平常心」でしたね。勿論、とっても素敵におシャレを楽しんでおられる女性もありますが、比較的日常のいでたち、という感じでした。

 さて、肝心の演奏の中身は。指揮:ベルナルド・ハイティク。

1929年生まれ、今年86歳になるこの巨匠の棒で、手勢であったロンドンフィルで「第九」を聴く!しかも所はロンドンで。と来れば、一般的に言って音楽好きなら多大の期待を抱くカードです。しかし、残念ながら、この長大な曲を振り切るのは、巨匠の体力には少しばかり過重であったようにお見受けした。途中で、何だか音楽に勢いがなくなるのです。これは残念でしたね。更に。合唱団のアンサンブルが、もう一つなんですよ。第九の成否を握っているとも言える合唱の迫力に疑義があっては困ります。4人のソロ歌手と云えば。それぞれは力量もあるのでしょうが、4人が謳い合い最高潮を盛り上げるシーンでのアンサンブルに多きに問題が。相手を聴いてるのかいな、と言いたくなるように、自分の声ばかりに専念しているようで。ちょっと頂けなかったのです。

ウ〜ム・・・少し寒い気持ちで会場を後にしました。

旅も終わりに近く、ちょっと寂しい経験でした。

 



その◆ .潺薀痢Εレモナ・パリ

  その◆  .潺薀痢Εレモナ・パリ

 

ミラノ万博の見物を終えた我々は、1日だけ残ったイタリアの休日を使って楽器の街「クレモナ」へ出かけました。ミラノから列車で

1時間ほどの日帰り圏。音楽好きな方なら誰でも耳覚えしている街、クレモナ。そこはストラディバリウス、アマティ、ガルネリなど弦楽器を弾く人すべてにとって魂を天上へと誘う楽器を作り出した人々が住み、活躍した街なのです。


 弦楽器は聴くだけ、の私だってこういうチャンスを逃すテはない、という訳です。倖三クンは何が何だか解らないんだけれど、「行きたくない」なんぞと言おうものなら・・という事で、同行します。

 

 6月5日、この日も北イタリアは快晴でした。何たって、旅で有難いのは天気がいいこと。「お天気屋」という言葉がありますが、特に旅に出た時の幸・不幸は天気に左右されますナ。この日も朝から抜けるような青空が広がり、旅人を幸せにしてくれました。

 

 汽車の旅は楽しいです。広がる山野と麦畑。俳句に「麦秋」という季語があります。日本では初夏、麦がたっぷりと熟れて、刈取りを待つのみ、という時期のことです。将にこの季語を満々と思い出させてくれる風景。俳句をひねったり、何が見えたの、何が咲いているだのとたわいもないことを言っているうちにクレモナに到着。

 町の中心は駅から10分程歩いた所らしい。歩いていると、高校生かな、という年頃の若者がどっと吐き出されてくる。どうやら昼休みの時間のようです。

「家へ帰ってお昼を食べるのかしら」「う〜ん、そういう話は聞いたことがあるけれど、お母さんたち、大変だよなぁ」なんてこちらの会話が相手方に通じないのは、実に気楽です。それにしても坊やも娘たちも美しいねぇ。どこの国でだって、若者は美しいのですが、目の当たりにするとますます感嘆してしまいます。若さが眩しい、と言うことは、自分らが若くなくなったということ。ハイハイ、そうですわね。

 

 中央に着くと、楽器博物館を探します。稀代の名器が集まっているというのですから、期待が高まります。なかなか近代的な建物でした。英語の説明も丁寧で、楽しめる。「宝石箱」と名付けられた一室には、ヴァイオリンを弾く人たちには、よだれがタラタラであろうと思われる、選り抜きの楽器が並んでいます。へえぇ〜〜、の連発で通り抜けまして。

出会ったのが大きな玉ねぎのような形の不思議なお部屋。入口には扉もなく、中は薄暗い。何だかとってもいいヴァイオリンの音が聞こえて来るので入ってみました。ベンチに座って天井を見ると。DVDが流れています。一組のヴァイオリンとピアノの奏者が「今、弾いている楽器はOO年製ストラディバリウス誰それの作品」とか「こちらはアマティ・・・」といった具合に、聴き比べが出来るのです。

これはよかったですねぇ。将に陶然として聴き惚れてしまいました。

 

 街をぶらついていると、楽器を抱えたお嬢さんが吸い込まれて行く家から弦楽器の、いい音がする。つい、覗いてしまったらこれが楽器作りの工房でした。彼女は魂柱(ヴァイオリンの中に立ててある柱)の具合が悪いので調整して貰いに来たのだとか。イタリア語は全く分からない私たちですが、お互いにあまりうまくない英語で何とか様子が解りまして。何だかこの街へ来た甲斐が あったような気分になりましたよ。

 

 翌日は朝からバスで空港へ行き、パリへ飛びます。欧州内は一回だけの飛行機の旅。今回の旅の移動は、友人の車でだったり、1日がかりでブルゴーニュからイギリス・カンタベリーまで走ったりと、列車の旅が多いのですが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



ヨーロッパほっつき歩き ふたり編 その


2015.6月2日に成田を出て、24日に帰り着くまで、3週間と2日のふたり旅。これは私にとってとても珍しい試みでした。

今まで随分国外に出かけたのですが、まったくの仕事旅だったり、

少しは遊びを付け加えたけれども、主眼は何人かの生徒を引き連れて講習に参加することだったからです。 前にもこのブログに書きましたけれども、フランス・ペリグーでの講習は、本当に素晴らしい内容で、忘れられない思い出です。  


しかし、これがなかなか疲れるのですよ。引き連れる人数が多くなるとね。私共もそう若くはない年齢になりました。そこで、今回は初めての夫婦ふたり旅と相成った。


きっかけは、親しい友人がイギリスはカンタベリーの大学へ1年の予定で勉強に行く、という。夫が「俺、イギリスって行ったことないよな。この際、行ってみるか」と言い出したことでした。


そこへ、まったく別途に夫に料理の依頼が参りまして・・ミラノ万博に「日本の食卓・日本の食器」というテーマで、プレゼンテーションをしに行く友人から、「持って行き切れない食器は写真にするんだけど、それに料理を盛って下さらない?」というお話。

これがなかなか骨の折れる仕事でしたが、彼、何とか頑張りました。

「倖三さんも一緒に行かなぁ~い?」 というので、イギリス訪問とミラノ万博、二つも理由があれば、こりゃぁ行かずばなるまいよ、と。


二つの国の間には、パリがあるじゃないか。旧友もいることだし、と

三都物語へ。もう、これが最後かも知れないふたり旅、ゆっくり行こうよ、でこんな長旅になりました。


珍道中の「ことの顛末」、どうぞ聞いてやって下さいまし。



「行って来ました! ミラノ万博」


2015.63日。ミラノは快晴でとても暑かった。中央駅のすぐ傍に宿を取った私たち。地下鉄で万博会場までおよそ30分です。駅を出て、大勢が歩く方向へついてゆくと入場券をチェックする場所があり、ネット予約でしかない私共は「あそこのコーナーで入場券と取り換えてきて下さい」と言われる。ハイハイ、と列に並ぶ。が、開場時間になっているというのに、ずらり並んだPCの前には人影がない。あぁ、イタリア! 時間厳守じゃないのね。


待つ。やっと番が来た。若い、いかにも「研修中」といった感じの

青年が担当。私の差し出す予約票を睨んで真剣な顔で,キーを叩いていたが「マダム、あなたの予約が確認できないのです」「そんな筈はないでしょう!!!私はちゃんとネットで予約し、クレジットカードで決済もすましてある。そこにその受け取りもあるじゃないの!!」きっとこめかみには、青筋も立っていたんじゃないかしら。私の剣幕に驚いて、脇からベテランが加勢に入り「申し訳ないのですが予約が確認出来ないのです」「じゃあ、その理由を教えて下さい。責任はどこにあるのですか? 私が予約を入れて、お金を払ったアリタリア航空のミステイクなの? 私ははるばる日本から今日、間もなく始まる友人のプレゼンテーションを見る為にやってきたのよ!間に合わないじゃないの。どうしてくれるのよ」こういう時はガンガン叫ぶのです。

英語の巧拙なんかにこだわっていてはいけません。喧嘩は勢い・ですから。負けちゃあいけない。


結果。「あなたがお支払いになったことはこの受け取りで証明が出来ているので、今、あなたのクレジットカードにご返金しますから、誠に申し訳ありませんが、もう一度ここでお買い求め頂けませんか」「まぁ、仕方がないわねぇ。で、私が買った値段と同じなの?」「いいえ、こんなご迷惑をかけたのですから、この値段では如何でしょう。ご納得いただけますか」と、きわめて丁重なご挨拶。提示されたのは、正価から見るとかなりな割引率。うむうむ、それなら払いましょう、と。しかし、ね。後でクレジットカードに返金されているかを確認する日までは、喜んじゃいけませんけど。 外国旅行というのは、このテのトラブルは日常茶飯事。こういう小さなケンカを楽しむ位にならないといけません。

さて、やっと入場。荷物検査の長い列に並ぶ間も太陽はじりじりと照り付けます。でも、お客さんは楽しそうで、イライラする様子もなく並んでいる。とにかく、いろんな人がいます。

私はこういうのを見るのが大好き。ツァーで来れば別の入口からサッと入れるのかも知れないけれど。

 

 会場内には中央に大きな通路が通っていて、日本館はほぼどん詰まりに近い、と友人から聞かされていました。歩く。歩く。通路の上は高いテントになっていて、イタリアの太陽から人々を守ってくれます。左右に国旗が立ち並び、国名を確認しながら進む。へぇえ、世界は広いわねぇ。聞いたことはある国名だけど、どこにある国だったっけ。なんて夫と話しながら進みます。それぞれに意匠を凝らして人気を競っています。道の真ん中に、所々展示スペースが設けられていて魚、肉、野菜の飾り物が面白くディスプレーされている。なかなか凝ってますなぁ、と楽しく見物。右に左に現れる食べ物屋台にいちいち引っかかりそうになる倖三のシャツの裾を引っ張り戻しながら前へ前へ! だって、彼が大変な思いをして作り、盛り付けた料理をディスプレーしたプレゼンテーションを見逃しては、元も子もありませんから。

左右のパビリオンからは、選りすぐりの美女たちが「美味しいわよぉ、ちょっと試食してみて下さいな。中に入ってゆっくり召し上がって下さると、もっと楽しいわよぉ」と呼び声しきり。倖三ならずとも、引っ掛りそうになるのですが、お祭りの夜店に連れて来てもらった子供を追い立てるごとく、急ぎます。

 

やっとたどり着いた「日本館」。入口は二つありまして、本体への入館を待つ長い列と、自由に入れる「イベント広場」へのルートに分かれます。素晴らしい松の大盆栽を中央に眺めながら広場に入ると。日本料理屋さん風な店、カレーを出す屋台などがあり、ステージが設営されている。なかなか立派な演出です。「日本の食卓・日本の食器」という題でのプレゼンテーションは沢山の聴衆を集めて盛会でした。

倖三の料理も、なかなかきれいに撮れていて、われら満足。

 

 3回程のプレゼンテーションの合間に、すぐ隣のロシア館をまず訪問。超大国ロシアですが、今回は「食の万博」ということで、あの広大な国で採れる穀物(現物らしい)を地図のエリアごとに薄い壁のようなショーケースに落とし込ん展示する、という面白い工夫。

 

 地元・イタリア館は元より広大なスペースを占めていて、ビールやらお得意の食べ物を宣伝販売している。別棟のワイン館はものすごい数のワインが並んだショーケースを設営して、試飲を呼び掛けています。開催国だけあって、気合が入ってます。唯、試飲のお値段がちょっと高いのが玉に傷!

 

 万博・というものに初体験の私たち、まったくの“おのぼりさん状態で何を見ても珍しくキョロキョロし歩いたのですが。ここで感じたことは、「なるほど、万博とは将に国威高揚、国力誇示の場でもあるのよなぁ」ということでした。まずパビリオンのデザインの魅力、規模、運営の力・・・ すべて国の経済力の反映だ、ということでした。

 

 そうした中で、日本館の中身は大変立派なものでした。 「うーむ、やりおるわい」という感じです。映像とディスプレーのエンターテイメント性、内容の充実。着想がシャープだし、言いたいこと・の持って行き方もうまい。制作者たち優秀だわ、と本当に感心しました。お金もしっかりかけてます。これは大事なポイント。かけるべきところには、しっかりお金をかけなくてはいいものは出来ないからです。加えて、コンパニオンたちの真剣な努力には感心しました。


 帰国後、読売新聞に大きな記事が出た。曰く、「ミラノ万博で日本館の評判が上々だそうな。“入ってみたいと思うパビリオン”のトップに挙げられ、“ここを見たことにより、訪ねてみたい国のトップにも挙げられた」と言うのだ。しかも。「そのもてなしにおいて他の追随を許さない。自分のことよりも相手のことを先に考える精神は他には見られない素晴らしい点だ」と。 大阪の俳句仲間の女性が、日本館でコンパニオンとして働いており、その彼女の事前情報の詳しさ、かゆい所に手の届く、現地でのご案内に大感激、大感謝、であった倖三と私は、本当にこの記事が嬉しかった。「やまとなでしこ」は女子サッカーだけではありませんで、万博という世界への発信チャンスの場で、十二分にその力を発揮していたのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 


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