俳句の愉しみ・・・ 私が俳句に出会ったのは、丁度45歳の時でした。
騙されたんです!! ある日、リンとなった電話。「京子チャン、ハイキングに
行かない? 鎌倉に住む友人が、観光客が来ない、静かな寺を案内してくれる
っていうんだよ」と。 当時は、実によく働いていましたから、ちょっと休憩・
普段しないことをするのもいいかな、と思ったのでした。 所が友人はヘンな
事を言う。(彼は某大新聞の経済部記者です) 「必要なものは皆こちらで用意
するから、筆記用具だけ持って来てね」・・・ハイキングに、筆記用具??
とは思ったものの、まぁ、いいか、とついでに娘の書きかけの「キティちゃん」
のノートをひっつかんで出かけました。
鎌倉駅前の集合場所に行くと、三々五々、人が集って来ます。
それは男性が多く、女は私と、そもそも、その記者を紹介してくれた、女性
弁護士だけ。男性軍は、ほとんどがリュックを背負い、何だか「やる気満々」の
感じ。 件の新聞記者氏の、「あ、この人が今日の宗匠。OOさん」の声で
出発です。「宗匠」って何?? ハイキングに行くのに・・・
何が何だか分からぬままに、最初の寺に着くと男たちは銘々、あちこちに
陣取って、リュックから取り出したノートを広げて何やら書きつけています。
私は三紀子さん(頼りの綱の女性弁護士)にそっと聞きました。
「あの方たち、何してるの??」 「えっ、京子ちゃん、聞いてないの? 今日は
コレ、俳句の吟行会なんだよ。しばらく歩いたら、油壷のマンションで、句会」
ヒャー! 聞いてない、聞いてない!! 何、それ! ですよ。
でも、来てしまったからには、皆さんの気分を壊してはいけない、と
それからは「宗匠」と紹介された人の周りをウロチョロ。 「この花は何と
云うのですか」とか、あの鳥は何ですか、と質問攻め。
俳句、なんて一度も作ったことない。でも、五・七・五で出来ているらしい、
とか、季語、というものが有るらしい、位のことは知っていた。でも歳時記が
ある訳でなし、何を読み込むのかは五里夢中。 でも、さぁ。季語ってのは、
何でも季節の花とか、入れればいいんじゃない?? と生来の脳天気。
頃は丁度春のお彼岸でして、鎌倉は梅の盛りでした。 すると、その時、
「雲水」が通りかかった。笠をかぶり、手甲脚絆を巻いた長い手足の、妙に白い
のが気になった。(えっ? 外人??)
その瞬間に出来たのがこの句。
<外っ国の雲水過行く梅の寺>
さて、「句会」というものも初体験。 いろいろと作法があり、側の人に
教えて貰いながら、進んでいきます。
で、何が何だか分からない内に、アタシ、その日の「一等賞」になっちゃった
んです。 一番びっくりしたのは私。
で、「あなた、もう逃げられないわよ。彼ら、結構本気で、俳句に取り組ん
でるの。初めての素人さんに一等さらわれて、放っといてくれるはずがない」
だなんて、おそろしいことを言う、三紀子さん。
そんな訳で引っ張り込まれた俳句の世界でしたが、言われるままに、月に一度
会合に通う内、何だか面白くなって来て。爾来、30年余り。 いやー、これが
面白いのです。
俳句の効用 その1
・ 趣味ごと、と云うのはとかくお金がかかるもの。 ゴルフは元より、魚釣り
だって釣竿だの、魚籠だの・・
所が俳句の初期投資は、歳時記だけ。後は鉛筆と紙があれば事足りるのですから。
その2
・ 俳句はいつでもどこでも考えられます。電車に揺られながら、車窓から見た
景色で1句!
その3
・ 日本語の奥深さ、美しさに目覚められる。本当に知らなかったことだらけ。
花の名前、古来から伝わる行事のゆかしさ・・・
その4
・ 仕事以外の世界に仲間が出来る。 これも素敵な効用。
如何です? 皆さんも 始めませんか?
土田と一緒に、初めて見ようか、という方。いつでも、このHPからご連絡下さい!!!
]]>実を結びました。
ヤマハから出版した3冊の本、「和声法がさくさく理解できる本」・
「和声法がぐんぐん身につく本」・「絶対わかる 和声法 100のコツ」は、
有難いことに堅調に売れています。これほど多くの読者を獲得できるとは、
当初誰も想像しなかったこと。
その間に、私には次なる夢が沸いて来ていたのです。
和声法は難しい、嫌だ、分かりっこない・・・こういう誤解を吹き払い、
和声法が解かると、どんなに音楽がよく見えて来るか、楽器を弾くのが
楽しくなるか。和声法を食わず嫌いしないで欲しい !! この思いで
走ってきた訳ですが。
たくさんの読者からメールを頂きました。 質問だったり、「あなたの塾に
参加したい」だったり。 そして、塾に併設した「和声法課題を通信添削で」
という倶楽部にもかなりの数の方が応募して下さいました。 とても
嬉しいこと。
しかし。欲張りで「夢見る夢子チャン」なアタクシの中で、段々と膨らんでいた夢。
それは「私の本を読んだら、自分でも和声を書いてみたくなってくれないかなぁ。
その為には、本だけでは不十分で、動画でお話をしたい。動画なら、一緒に楽譜を
みながら、このバスには、どんなソプラノを書けばいいかなぁ」と悩んでいる
京子センセと一緒に悩んでもらえると思うんだよなぁ・・・ということでした。
それでも実現までには、いろいろな障害が。何せ、本人がかなりなITオンチ、と
来ている。一体、何から手を付けたらいいのか解かりませんでした。
その癖に、弟子に勧められて「手始めにyoutube というものを始めたい」なんて
思いついた。無謀ですよね。 所が。世の中には素晴らしい人がいるのですよ。
「先生、私、そういうこと仕事の絡みもあって割と解るんです。お手伝いしま
しょうか?」という天使が。
「お手伝い」どころではありません。ほとんど、オンブにダッコの状態で、
youtube で和声の話を配信し始めた。 管理者のお陰で、チャンネル登録者が
250人位にもなっています。 望外のことです。
しかし、何せ当の本人が素人ですから、慣れて来るにつれ自分に不満が出て来ます。
何とか、プロに撮影してもらって、もう少し自由度の高い画面にできないかなぁ。
楽譜を見ながら、情報共有がしたいなぁ・・・
で、やっと今回、出来たんです。
お約束として、前に挙げました私の3冊の本をお求め頂いている、という(ちょっと
厚かましいのですが)前提で、本に沿って話を進めています。
40−45分の動画を6本撮りました。今度はプロが撮った映像ですから、きれいに
撮れている。 1−3までと4−6をセットにして販売します。
各2,500円。 1−3では「和音の作り方」から説き起こし、3和音(音が3つで
出来ている和音)の話。バスをその3つの音のどれが受け持つかで、響きの印象が
変わることや、それぞれの形の呼び方など。そして、実際に「混声四部合唱」を
書いてみる体験をご一緒します。
第2シリーズ(4−6)では、「ソプラノ課題」の説明をして、更に音が4つある和音
のお話をしています。V7 と?7です。 そしてちょっぴり、「特殊な和音・
ナポリなど」にも触れている。
これが出来たことで、「先生、私のように東京から遠い街で暮らしている者も
ご本と動画で勉強できますね。嬉しいです」と、言ってくれた生徒もいます。
更に、完全な自学自習が中々に出来難い、和声法のことですから、併設の
「通信添削倶楽部」を活用して、是非とも皆さんに和声を身近なものにして
頂きたいのです。
動画の説明、試し視聴、そしてご購入は私の youtube からどうぞ。
]]>
会場:JR 箱崎 徒歩5分 田中音楽教室にて
2019年から学んで来ました「はじめての音楽史」(片桐 功・久保田
慶一他共著)が2020.12月で20世紀の音楽の姿を眺める所まで参りました。
音楽の始まりであるギリシャ、次にものすごい広さの大帝国を
築いた紀元前の古代ローマ帝国の時代、そしてキリスト教が
すべてを覆い支配した中世のこと。
音楽の歴史を外側から包んでいる「ヨーロッパ・って何なの
だろう」という疑問を解きほぐしてみたいのです。
一層の「知の世界旅行」の試みは、我々に沢山の知恵を見つけ
させてくれました。
で、一段落したのを機に、案外向けてこなかった自国、日本音楽の歴史を
紐解いてみよう、という事になりました。
これは大切に視点です。 おかしな話なのですが、わが国では、西洋音楽・クラシックは
学んでも、自国の音楽には関心が薄いということがあります。 10年近く前、文部省が
このことの不自然さに気づいたものか、中学校の音楽教科書に邦楽が取り入れられました。
我々の仕事世界でも、邦楽に関する知識は必ずどこかで役に立ちます。
という事で、しばらくこの方面へ目を向けてみようと思うのです。
これまで続けて来た、「三善・メソッド」も、ピアノを学ぶ方、叉、
ピアノの先生方、ご自身を再発見するために、お弟子さんに、新しい
素敵なプレゼントとしてのレッスンを展開するために、ご一緒に学ぼう、
も続けていきます。 2023.7/13は 第7巻 P.56 からの学びます。
詳しくはお問合せください
三善 晃 氏は、私の師匠・矢代秋雄 の大親友でした。
分析を90分、メソッドを60分の予定です (12:30終了予定)
新しい方の見学を歓迎します。
次の次 2023. 8月 24日(木)
会場は JR箱崎 から徒歩8分 田中音楽教室にて
● 個人レッスン (ピアノ・楽曲分析・和声法)
今月は一人のレッスンを予定。見学をご希望の方は
ご相談下さい。今の所、もう1コマのピアノ個人レッスンを募集しています。
フランス式和声法を学ぶ in 博多
2023. 7.12. (水) 10:15~12:30
会場: 福岡市・ 並木スクウェア にて JR千早駅1分
⁂ 土田京子の新しい和声の本「和声法 100のコツ」が出版されました!
今までの教科書的な本ではなく、「和声法」つて、それ、どんなもん? という
疑問に答える楽しい本の出現です。読んで下さい
直接お申込み頂いた方には、ご希望があれば、著者サインをしてお送り
します。
テオドール・デュボァ の「和声法」からフランス方式の和声法を学び始めた私たち。
今は少し進化してアンリ・シャランの「380の和声課題」への取組みも次第に板に
ついて来ました。
初めての方には、土田京子の「説き語り和声法」(今は「和声法がさくさく理解できる本」という
タイトルの文庫本)をテキストに選ぶ方も。初心の方も歓迎します。
土田の2冊めの和声の本・「スーパー和声法」は、2018.8.20.「和声法がぐんぐん身につく本」と
して、こちらも文庫本になりました。この本には課題が充実していて好評。こちらから始めるてみても
いいですね。
進度はさまざまで、和音外音を駆使する人、初歩から一づつ小石を積み上げていく人・・・
違いを見聞きしつつ、自分の歩を進めるのは楽しい。
次々回・・ 2023. 8. 23. (水)
和声法を学ばないで、西欧古典音楽を演奏することは出来ません。
音楽の成り立ちを内側から支える「和声法」それなのに、この西欧伝統の音楽
技法ときっちり向き合い、「手を取って」教えてもらえる場所は、本当に
少ないのです。新しい仲間の参加を歓迎します。
素敵な仲間のおかげで、10年以上も続いている貴重な勉強の場。
メンバーは変わっても、学ぶ情熱が受け継がれていることは素晴らしい。
どうぞのぞきにいらして 下さい。
⁑ 和声は銘々が、書いて来た課題を土田が見て問題点 を指摘する。
仲間との見比べによって自力で問題点を見つけて行く人もいます。
1か月に1度しか会えないので、その間は「通信添削」で補います。
あなたもどうぞ、見学にいらして下さい。
コロナに負けず、感染防止に心しつつ、催行しています。申し込み・当HPの「お問い合わせ」からどうぞ。
塾生たちの熱心な希望に動かされて、「バッハ平均律第2巻・フーガの分析」の2巻が終了しました。
フーガの分析を、納得の行くまで付き合って教えてくれる教師、というのは実に少ない。これは誠に大きな不幸です。
私が14歳(中学2年)から大学卒業まで、ピアノを教えて頂いた「遠山つや先生」は、20世紀ドイツ・ピアノ
界の重鎮・エドヴィン・フィッシャーの弟子だった。第1次大戦後のベルリンで、フィッシャーのクラスに
日本女性が、と考えるだけでワクワクしてしまう。我らにとっての大変な先達だった方です。
エドヴィン・フィッシャーと言えば、バッハの演奏に定評があり、私も初めてフィッシャーのバッハを、復刻された
CDで聴いた時は、本当にゾクッとしましたよ。 何とも言えない風格があって。
従って遠山先生のバッハのレッスンはとても厳しいものでした。おまけに私が作曲科の学生、ときているから
ピアノ・レッスンにフーガを持っていく度に「ここはどういう形になってると思う?ちゃんと考えて、調べて、
解って弾きなさいよ」と仰られた。
一方、作曲の師・矢代秋雄先生がこれまた、大のバッハ好き! 勿論、分析は細かく教えて頂いたし、ユニークな
指使いの知恵とか、曲の理解についての発見とか・・・「ねッ、君ィ。ここの所、どう弾いてる?僕さぁ、ふっと
思いついたんだよ!ここ、こういう風に解釈すると、曲がかなり姿を変えてみえるだろ?だからぁ・・・」
こういう時の先生は本当に嬉しそうで、まるで小さい子供が、石ころの宝石を見つけた時のようなのでした。
そんな風に、とても幸せな学生時代を過ごしたものだから、バッハの楽譜を読んでいることは、本当に面白くて
仕方がない。
しかし、世間一般、ピアノの先生をしている若い人たちの多くは、「バッハは苦手」という人が案外多い。
特にフーガは難解だ、と思われているようです。その「思い込み」(あなたがお持ちでなかったら何よりですが)
を打ち破りたい、とクラスでの勉強を再開しています。
塾生たちの希望もあって、今度は Prelude にも目を向けつつ、Fuge との関連性を見て行こう、と
いうシリーズの始まりです。 毎回、1−2巻の同じ番号の曲を取り上げます。
新しい方の参加を歓迎します。
とりあげる曲: 平均律1-2巻のNo.4 cis moll
京都・大阪・博多と、次第に広がる「土田塾」の滋賀版。JR唐崎駅から徒歩8−9分の距離です。
コロナに負けず、感染防止に心しつつ催行しています。興味のある方の見学を歓迎します。
次の次 の回 2023. 8.22.(火)
HP「お問合せ」からお申込み下さい
長い「閉じこもり」を強いられていた私たち。 みんな、いい音楽に飢えていたのです。
とは言え、まだ警戒態勢を解けない気分の方も沢山居られるのでしょう。入りはボチボチ
ながらも、音楽会の開催数は確実に増えています。
11月5日と6日。私は滋賀県高島市、という所へ出掛けました。
敬愛するピアニスト・上田晴子さんの公開レッスンを聴くためです。 受講生は主として関西
で音楽を学んでいる人々。学生さんと、中には学校の先生をしながら、演奏を続けている方も。
久し振りに聴いた、上田さんのレッスンには啓発される事数多く。 とても幸せな気分に
なりました。
翌日。11月6日は、同じ「ガリバーホール」という、高島市民ご自慢の音響の良いホールで
今、売り出しの若きチェリスト、笹沼 樹 さんと上田さんのリサイタル。何とも豪華な
企画です。 これは、私の旧い弟子であり、同志とも云うべき女性が、地域の志を同じくする
人々とちからを合わせて立ち上げた企画です。 かかわってくれる人々の、情熱の素晴らしさが
胸を打つ音楽会でした。
リハーサルからみっちり聴ける、何とも豪華な時間。笹沼氏の実力派、ここ一両年とみに楽界
の耳目を集めていて、スケジュールは詰まってきているようです。 実に爽やかな人柄に加えて
彼の音楽は活力に溢れていて、深い処から音楽を汲み上げて来る力が殊に素晴らしい。
チェロの師、堤 剛氏も私には心から敬愛する友人ですし、室内楽を共にしつつ、手塩にかけて
おおきく育てようとしている、上田晴子さんの情熱の程を、「そりゃあ、気合が入るだろうよなぁ」
と思って聴きました。 室内楽の面白さは、出会った音楽家の魂が、出会い、ぶつかり、突然
溶け合う瞬間を共有することにあります。聴衆も又、その「変容」の中に生きられる。こんな
経験は、そういつも経験できるものではないのですがね。 この日の演奏は、まったくそうした
ものでした。 澄み切った奥滋賀の空気を胸いっぱいに吸って、至福の時間を振り返りながら、
次の仕事場へ向かいました。
東京へ帰って。11月14日。 すみだトリフォニーホールで。 「アルゲリッチと仲間たち」を聴く。
アルゲリッチを生で聴くのは初めて。ヨーロッパででも、なかなか切符が買えません。
海老彰子とのDuo も面白かった。 海老さんは大学1年の時に、ちょっとお付き合いがあった人。
今や、大先生になられましたけれど。 彼女の30代初め位までは、よく切符を頂いて聴かせてもらって
いたのですが、ここしばらくは聴くチャンスがなかった。 そして、この日。「芸格」という言葉を
度々思いました。 本当に立派になられたなぁ、と。
そして、アルゲリッチ。日本の若い音楽家を育てよう、という意味合いもいあっての会でしたから
辻 彩奈のVnで、FrankのVn Sonata を聴いた。 何度も何度も聴き、自分でも友人と弾いた曲なのに、
「はぁ~、こう弾くのかぁ」としか言えなかった。 これは誰とも違うフランク。 アルゲリッチの
フランク だと。凄い人です。
続いて11月21日。 ヴィクトリア・ムローヴァ(旧東独のVn) がストラディバリウスのピリオド楽器と
モダンの両方を弾き比べる、という素敵なプログラム。 武蔵野市民会館は我が家からはちょっと
行き難い場所にありますが、頑張って出かけました。 健康で、音楽会に出掛けられる今、に感謝しつつ。
ガット弦で弾く、弓も当然に違うというのは、演奏家にとっては大変な事なのだ、ということを、知人の
チェリストが何年もかかって乗り越えてゆく有様を、近くで体験して来ました。それだけに、このクラスの
音楽家が、どんな演奏をするのだろう興味が有りました。彼女の凄さは、昔聴いて知っていたから。
そして、期待に背かない充実の音と音楽を聴かせてもらった。
]]>
始めました。
この「フーガ」というもの、どうしてこんなに敬遠されるのだろう、と思う位、
「敬して遠ざけられて」います。それは、この最高度に洗練された対位法様式に
よる楽曲の構成を、きちんと教えてくれる人が少な過ぎるから。
音楽大学でピアノを専攻する学生で、バッハのフーガを学ばなかった人は
皆無でしょうに。皆、その構造に注意を払わず、「わかっていない自分」を
訝ることもなかった、というのが現状ではないでしょうか。
我々、音楽理論の教師も、どうもこの問題から逃げていたように思います。
しかし、逃げて済む問題ではないのです。
ここらで、じっくり取り組んでみましょうよ。
2020.7/22の第1回は、フーガの基本構造を学び、最も取り組みやすい、平均律の
第1巻・16番のフーガを分析しました。
そして回を重ねて。 2022.5月には、ついに平均律の2巻に入りました。
フーガの書き方から見ると、1巻と2巻には結構な違いが見受けられます。とても面白いのです。
どうぞ、一度見学にいらして下さい。そして、仲間になって下さい。
次回 時: 2022. 6.13.(月) 10:00~12:30
所: 東京・練馬 土田スタジオ (地下鉄・有楽町線+副都心線 「氷川台」徒歩4分)
課題曲 Bach 平均律 第2巻 2番
参加費: 入会金 5,000円
毎回 5,000円
欠席の月 2,500円
]]>「和声法はほとんど未経験です」という方と、 通信添削で和声法の勉強を
始めようなんて。考えたこともありませんでした。「そりゃぁ、無理だわ」と。
しかし、ニンゲン喰わず嫌いはいけませんね。 出来るんですよ! これが。
私にそれを教えてくれたのがコロナ騒動でした。
2020年の春に始まった、このかつて誰も体験しなかった異常事態。最初は
「まぁ、1−2か月我慢して・・そのうち、いいお薬がみつかるんじゃなぁい?」
程度の認識でした。が、しかし。ほとんど丸2年に及ぶ異様な生活が降って来よう
とは、誰も想像しませんでしたよね。
巣籠り・・巣ごもり。 しばらくはのんびり構えていたのですが、段々長く
なると、不安になって来る。大体が、「和声法が大好きです」という人は
多くはなく、「学生時代には、とにかく嫌いでした。でも、仕事を始めてみると、
この能力がないと困るということが、身に染みて解って来ました。イチからやり
直したい」という、奇特な方の出現を待ちに待って始まったクラスです。
そんなに長い間、休んでいたのでは、肝腎のモチベーションが下がることが
恐ろしい。 そこへ、思いを同じくする生徒が一人、「先生、前からある通信
添削に、ビデオレッスンを組み合わせたら、対面に近い勉強が出来ますよ! やって
下さい」との申し出。 半信半疑で始めました。
郵送による、通信添削は何年かの実績がありました。が、月に1回、会って
レッスンしている人との補充・としてやって居るのが本来で、対面はほとんど
なし、という環境には強い不安がありました。
それを埋めてくれたのが、ラインのビデオ通話だったのです。
対面には及ばないものの、通信の最大の強みは距離を越えられることでした。
事実、最近では、私の本を読んでくれた読者から、よく申し込みを受けます。
まずは読んで貰えるだけでも嬉しいのに、実際の勉強をしたい、と言ってもら
えるのは著者としては果報の至り。 和声法は何と言っても実践が第一。文章を
読んだだけで、演奏や鑑賞の力を盛り立てるのは難しい。
まずは「和声法・って、どんなものなの?」という興味を持ってもらいいたい。
次に、「じゃあ、実際に解答を書いてみたい」となってくれると、本当にワクワク
嬉しいのです。 大好きな事を共有する、ってのはいいでしょ?!!
会って勉強・に越したことは在りませんが、日本はやはり広いのです。地方に
お住いの方とでも、共に学べる方法は有難い。
しかし。それでも書面のやり取りだけでは、言い尽くせない微妙な点はあるのです。
そこで、「コロナに追い詰められたお陰で・・」始めたビデオレッスン。不備もあり
ますが、やってみると中々結構なのですよ。そして、実施しているうちに「こうすれば
より分かりやすい」といった知恵もついて来ます。若い人のIT 能力を分けて貰いながら
かなり進歩しました。
最近、嬉しい申し出がありました。熊本市在住の、素晴らしい音楽力と勉学意欲を
持つ女性から「楽曲分析をビデオレッスンで」というご要望が。
これまで私は「分析の本は書かない」と言い張って来ました。出版社から「この部門も
ニーズはあるのですがねぇ」と水をむけてもらったことは何回かあるのですが。
その壁を彼女が突き崩してくれたのです。実際にやってみると、出来るのですよ。
対面に較べると目の前でピアノを弾いてもらうのと違って、演奏内容にコメントできない、
というもどかしさは残りますがね。本で書くのは、未だに消化不良になりそうだ、と
気が進みませんが、動画でなら十分に可能だ、と手ごたえを感じています。
事前に、文書で提供できる情報を互いに交換して置いて、なのですがね。
分析と云うのは、「現状よりも、より良い演奏が出来るために」するものです。
曲を観察し、分析した後で弾いて貰うと、驚くほど演奏がよくなる!! そこで、
どういう点でよくなったのか、もっと良くなるには・・と実際的なアドバイスをする
・・という段階に進む。 ここに少し不満が残るのではありますが。
それでも、熊本から飛行機に乗って、毎月東京の私のスタジオまでいらっしゃい、
は現実的ではありません。
こんな方法があり得たのか、と現代の技術革新に目を丸くしているのです。
あなたも試してみませんか?? !!
]]>ある日 突然 !
「病気はいつだって、突然よ」と、きわめて冷静な友人にガツンと言われてしまいましたが。
私にも、その「突然」がやってきてしまった。 急に心臓が痛くなり、流石に呑気な私も
「こりゃあ、普通じゃないな」と思ったのです。で、近くのかかりつけ医に飛んで行った。
調べても、大したデータは出てこない。普段の私なら「ほーらね、私は丈夫なのよ」、となる
所。が、しかし。今回は虫の知らせか「もう少し詳しくとお思いなら、大きい病院を紹介しま
しょうか?」というドクターの言葉にうなずいていました。
そして、次の病院のドクターの口から出た言葉は。「OO症です。入院して対処しましょう」
はぁ~~??!! アタシが入院。 中学生の時の、盲腸以来の椿事であります。
一番シャープな反応を見せたのは、連れ合いでした。そりゃ、そうです。若い頃はともかく、
トシぃ取りますとね。カミさんにひっくり返られると、男にとっては実に厄介ですから。
というので、色々と面倒なことが続いた2か月ばかり。飛び飛びに病院のご厄介になりました。
幸い、命のやり取り、という程の事ではないらしく、お医者様が冷静だったのが救いでした。
患者はいつだってドッキドキですからね。それにしても、現代・ニッポンの医療技術というのは
素晴らしいのですねぇ。お陰様サマで退院とはなりました。
あまり、人様に話すことでは無けれども、私の場合、あちこち、仕事やお稽古事の約束があり
ますから、どうしても話は広がります。京都・大阪、博多の勉強会々員にも。
皆、励ましてくれて「ちょっと疲れた所を手当したら、先生は前より元気におなりですよ」と。
有難いことに、その予言は当たり、現在は「おぅ~ 、復活!」なのではあります。
去年の秋の「減量作戦」の着手に端を発した、この一連の出来事で学んだことは。
何事も早めの用心、的確な対処、という事。 今回の有難い、は出会ったドクターたちが有能、
且つ親切で、温かかった事でした。「あなたは病気です」と言われた時、人は本当に不安な気持ちに
なります。その時にお医者さま、看護師さんが優しいと、実にほっとする。
有難うございました、と心から思った出来事でした。
]]>
来ていました。それでも仕方がないので家籠り。しかし、余り若くない者と致し
ましては。脚力の衰えが気になる。とにかく「面白くない!」ことおびただしい。
そんな折、ふとした宣伝文句に誘われて「女性だけの」「30分で出来る筋肉
トレーニング」といううたい文句に、ついフラフラと。
という訳で近くの体操倶楽部へ通い始めました。
初日。まず「計測」がありまして。身長・体重・・(イヤだわん!)と思った途端。
「ウッソー!!」いう数字が。 これはショツクでありました。ここしばらく、
殆どそっち方面には興味を持たず、食べたいものを食べていた、かも・・
それにしてもこれは捨て置けぬ数字だったのです。
で、その日から「厳重ダイエット」をスタート。家族がびっくり。しかし、
頑張って取り敢えず3Kg減量。まぁ、あとはボチボチやりましょ、と。
いまは何とか許せる範囲までたどり着いた。油断なく気はつけなくちゃ
いけないんだけれども。
もう一つ計測でびっくりさせられたのが「血圧」です。これ又「機械、
壊れてませんー??」という数字。で、かかりつけのお医者に飛び込んだ。
これは以前から「気をつけなくちゃ・サイン」はあったのに、まぁいいや
で放置していたのでした。
先生がおおらかな方で、「まぁ、確かに高めだけれど、そう泣き叫ぶこと
でもない。薬を飲みましょう」 元来、薬嫌いのアタクシ。友達なんか
薬の問屋に部屋でも貸したか、という量を飲んでる人、居ますけど。
1種類「用心のため」に飲まされているだけのヒトが、もう1種類追加。
面白くはないが、致し方なし。一応、もう若くないんだから、と自分を説得。
それにしても大切なのは運動なんですって。家族にそれは前々から言われて
ました。とにかく、歩くことよ、って。で、連れ合いと一緒に気合を入れて
歩くことにしました。
これがコロナがくれた一番の贈り物。仕事時間を減らされたけれど、勉強時間
が増え、健康に心を向けられた。コロナにも悪いことだけじゃなかったわ、
という訳です。
で、結果はよく眠れるし、身体を動かすと気分はいいし、なかなか悪くない
ことが自分の周りに渦巻き始めました。この辺で、身体にも耳を傾けて、
必要なテコ入れをしつつ、後もう少し、勉強と遊びに精を出そうと思った
のでした。
]]>
私には無理だ、と思っていたのですが。素晴らしいプロデューサーが
天から降って来て。実現しました。
「和声法の話をしよう」というタイトルです。和声法ってどんなものなのか、
何の為に親しんで欲しいのか、と云ったことの話から始めて、具体的な課題の
解き方などをお話しています。
一度、見てやって下さいませ!!
]]>
あれは2005年でした。
「説き語り楽典講座」の初版が出版されたのは。長い間、ある雑誌に連載したものを、
「本にまとめて置いたらどうですか」と云って頂いて。私にとっては初めての本でしたから
思いで深い作品です。
A6版の方が、見やすい、との思いも在りましたが、和声の本2冊が文庫に姿を変えて
とてもたくさんの方に読んで頂けた現実。持ち運びの利便とは、なかなか大きなものなのだな
と理解しました。この度の衣替えに際して、あちこち手を入れて、さらに読みやすいものが出来ました。
楽典は、音楽の基礎の基礎。音楽が好きな方々にどうしても知って置いて頂きたい話です。
又、私はそれに加えて、音楽史の入口への誘(いざな)い、を書き加えました。
音楽史は、是非熱心に学んで頂きたい科目ですが、しっかりやるゾ となると、範囲と云い
細部と云い、なかなか大変な相手です。それでつい、放っておく・になりやすい。それで、
いつかしっかり学ぶ時への手引きとして、大づかみな歴史の流れをお話ししています。
更に。オーケストラで使われる楽器の紹介とか、いろいろ欲張った内容が小さな本に
詰まっている。便利な本です。
この本が出版されとき、私の生徒が愉快なニックネームをつけてくれました。
「電車の中で読める楽典の本」というのです。難しい、ムズカシイ・と言われる音楽理論も
語り方によっては、肩が凝らないよ、と。
直接に私からお買い頂く方には、ご希望があれば、著者サインをしてお送り致します。
このHPの お問い合わせ からお申し越し下さい。
]]>襲われて、友人との接触を阻まれて暮らしました。
何と言っても、人と会うこと、が仕事だった私が、家族以外の人間との
接触を極力絶って暮らしたのですから、相当なストレスです。
始まりの頃は、まだ何が何だか分からずに、急に降って来た自由時間に
目を回しながら、やりかけた仕事に集中。幸い、ちょっと神経を張り詰める
作業があったので、時間を持て余すこともなかった。
生徒は見事に、一人もやってこない。出かけて行くのもダメ。
1か月近くたった時、これはマズイぞ、と思い始めた。
私が音楽理論の教師として働いてきた中で、一番情熱を注いだのは、演奏を
する人々に、「自分の弾いている曲を理解し、深く掘り下げてから弾いて
下さいね」という点に心を注いでもらう事でした。
その第一の道具が「和声法」なんです。
叫び続けたこの願いに、耳を傾けてくれる弟子が、この所ぼちぼちと増えて来て
東京、関西、博多と嬉しい成長を見せて私を喜ばせてくれています。
その、折角「出て来た芽」が、1か月レッスンに行けないだけでもよくないのに、
どうやら2か月目も行けるかどうかあやしい。放っておくと、やる気がなくなっては
大変だ、と。 もともと私のクラスでは、月に一度しか会えないのを補充する意味
での通信添削と、いろいろな事情で、私に会いには来られない(遠隔地の)人などを
対象にした「通信添削倶楽部」がありました。
この「強制された長期休暇」から立ち上がるために、ある生徒から提案があった。
「先生、私たちは自分の生徒対象に、オンセライン・レッスンをしているのです。
和声は、オンラインでレッスンするの、可能ですよ。やって下さい」と。
元来がアナログ人間であり、仕事については頑固なところのあるわたくし。
「テレビ電話でレッスンなんて、私には無理だわ」と喰わず嫌いを通していた。
しかし、今回の災難は、そんなことを云って居られない。しからば、と周囲の
篤い支援の許(機械の取り扱いに慣れさせてくれた、家族に感謝です)チャレンジ。
これが、よかったのですよ!! 相手の生徒さんたちとも「このやり方、いいわよね」
と言い合って。 今や、若い人のほとんどが使っているスマホがあれば、ラインが
使えます。通信添削で加筆・修正した楽譜を返送する前に、私はコピーを取っておく。
(この手間が増えるだけのことです) そして、添削された解答を受け取った生徒は
私にビデオで話す時間の予約を取って、電話をくれます。
これのビデオで、相手の顔を見ながら「OO小節の何拍目ねぇ・・・」とレッスン
するのです。今の機械の性能は素晴らしく、しかも電話代を心配しないでいいのが
有難い。 すっかりこのやり方が気に入りました。
私に、関西地方に住む女医さんの生徒が居ます。私が関西へ行く日の和声クラスに
いらっしゃいよ、と云っても平日の午前中、勤務医に自由時間はありません。
会えるのはごくごく稀なチャンスでしかありません。しかし、熱心な人で、しばしば
通信して来ていました。で、早速彼女にも「私、こんなこと始めたの」とメール。
そして、初めてビデオレッスンしての彼女の感想。「せんせ、ほんま、宜しいなあ、
これ。こんなんやったら、はじめっからこれでお願いしたら早かったですねぇ」と。
全く同感です。 自分の喰わず嫌いをしみじみ 反省したのでした。
東京から遠い所にお暮しの方で、和声法を勉強したいと思っておられる方は、
ぜひ、私の「通信添削倶楽部」に参加して下さい。
]]>
オペラシティー
新型コロナウィルスとやらで、どちらを向いても音楽会のキャンセル。
その嵐の中、敢然と催行したカジモトに敬意を表する。
演奏は。「神々しい・唯 神々しい」
聴きながら、心に浮かんだのはこの言葉だった !
今からおよそ30年前。40を少し出たころのシフを、松戸の聖徳學園ホールで聴いた。
Bartok の「戸外にて」がとてもよかったのを覚えている。
そして、30年。シフも67歳になり、私の前に立ち現れた。毎月、唐崎(滋賀)での
研究会で彼のBach・平均律を聴いて、そのあまりの彫琢の深さに感動。どうしても
聴きたくて、大奮発、13000円の切符を数か月前に買っていたのだった。
キャンセルか、とハラハラしながら迎えた当日。早々に会場に着き、待機。
しかし、素晴らしかった。まず、この人の音の美しさ。音楽なんだから、音が美しい
事が何よりも優先。そして、曲に対する理解・同化。自分の中で愛しきったものを
聴き手に零してくれる、この親愛。私は唯、彼の懐に抱きとられて、目を閉じ、
心だけを呼吸させて、母の乳を待つ赤子のような時間を楽しんだ。
言葉に出来ない時間。
この音の玄妙に、わが愛する、ベーゼンドルファーが、大いに力を貸していたことを
思う。製作者・・ 調律師・・ そしてシフの希望により、演奏の合間の拍手はしないこと
が告げられた。将に「静寂が音楽を生む」 会場からは一つのしわぶきも聞こえ
なかった。すべての人が、彼の届ける音楽に同化していた。
曲目
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・休憩 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ここまでだって「神様との時間」だったのに。 アンコールが6曲!!!
ただ、ただ、今日自分が生きていて、この会場へ来られたことを
神に感謝した。
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日本中の方が、等しく耐えた長い時間。
私も最初の内は「あらあら~~」程度の困った感、だったのですが。
4月7日、とうとう出てしまった緊急事態宣言。こうなれば仕方がない。
3月終り頃から、ちょっと纏まった時間と集中を必要とする仕事が
ありまして。PCの前に座り込んで2週間を暮らしておりました。
3月から4月の最初までは生徒も来ていて、いつもとあまり変わりは
ない生活。
ところが4月7日から、ガラリと生活が変わってしまった。
3月2日、極く親しいピアニストの、とても楽しみにしていたリサイタル
がキャンセルされたのを皮切りに、ぽつぽつとキャンセルのお知らせ。
この辺まではまだ、呑気で「へ~~、延期なのぉ」程度の受け止めでした。
しかし、4月も10日を過ぎると、本当に嵐のようなキャンセルの通知。
このところの私は「出来る限り、音楽会には行こう」という気分で
ご招待頂くと、ほとんど「伺います」の返事を出していた。普段は
いろいろなことに引っかかって「悔しい、惜しい」と思いながら
聴きたい方の会をもお断り、という事が多かったのですが。時には
生徒に無理を言って日程変更。音楽会を優先させていたのでした。
それなのに、それなのに。かなり残念な「買ってあった切符」を
泣く泣く払い戻しに応じる騒ぎです。
すっかり予定が空きまくり、普段は黒々と書き込みに満ちている私の
手帳に赤ペンで「キャンセル」「~~に延期」がずらりと並んで。
完全家籠りの始まりです。
高校から電車通学して、大学・社会人の生活を通してン十年。こんなに
電車に乗らなかったことは初めてですね。
で、これはいかん、と散歩することにしました。夫と二人でせっせと歩く。
幸い、私の住んでいる東京の西・北地域は、まだまだ緑が多く、歩き回る
住宅街は静かで美しい。「不要不急の外出」とは思いません! と、2日に
1度は8000歩を目標に歩いた。リュックを背負い、中には水筒。普段は
自転車がほとんどですが、歩くというのはいいものです。
まず、普段は見過ごしている町内の変化に気が付きます。「おや、こんな
所に新しいマンションが」とか、「この花、何ていうの?」と、私と違って
花に執心の深い夫に聞きながら歩く。 とても新鮮な体験でした。
疲れると、バス停のベンチで休み、ちょっとカフェに入って。
まだ、カフェが開いていたのですね。4月10日位までは。
所が宣言から2-3日で、一つ、また一つとそれらが閉じて行きます。
それなら、普段なかなか行けなかった銀行の用事をと、届け出をさぼって
いた用事を済ませようと出かけて行って驚いた。 入口にはマスクは勿論、
更にフェイス・シールドをつけた行員が、入場制限をしている。ATMに
並ぶのにも「ここまで離れて」と厳重です。ふ~う、すごいなぁ。そして、
届け出みたいな、ちょっと手間のかかる用事は「大変申しかねますが、
現在は普段の半分の人員で廻しているものですから、もし、お急ぎで
なかったらこの状態が回復してからでは、いけないでしょうか」と、
やんわり断られてしまった。初めての経験。はいはい、失礼しました。
こっちは暇だから普段できないことを、なんて考えるけれども、そりゃあ、
先方には迷惑千万。大変失礼しました、と帰って来た。
こうなりゃあ、家の中のことするしかないな、と30年も溜まっていた俳句の
整理をすることにしました。毎月7~10句発表しただけなのに、12か月
X30となると、相当なボリュームです。欠けている月を考慮しても。
でも、こんなことでもなければ、とても出来ないことですから、せっせと
働きました。やってみるといろいろな発見があります。
夫が側で「こうしてみると、俳句を作るってのは日記を書くようなもんだな」
と珍しくいいことを云う。本当にそうなんです。
はぁ、鹿児島へ旅したのは、この年だったか、とか、おやまぁ、5歳と3歳の
孫を連れて、ぢぢ+ばばで上野動物園へ行ってる!! なんて、思わぬファミリー
ヒストリーが。 コロナがくれたお土産・です。
それも、もう少しの辛抱、という所まで来ました。
有難いことに3月下旬から丸々2か月と10日ほど。コロナにも捕まらずに
風邪も引かずに過ごせたことにほっとしています。
また、少しづつこのブログも書いて、皆様とご一緒したいと思っています。
どうぞよろしく。
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私、土田京子の和声法についての3冊目の本が2/20に出ました。読んでやって
下さいナ。
この「100のコツ」というのは、シリーズでして、他にいろいろな分野の
タイトルが出版されています。
私にとっては、初めて「出版社に頼まれて書いた本」でした。これまで
楽典1冊、(近々これも文庫になります。読んでやって下さいね!)和声法を
2冊、出版してもらいましたが、皆、すでに原稿は出来ていた、あるいは
構想がまとまっていて出版交渉をして出したものでした。
が、今回は会社に呼ばれて行ってみると、「こういうシリーズがあるの
ですが、あなたに和声の部を書いて欲しいのです」とのご依頼。しかも
「100」の項目に分けろ、ですからねぇ。
最初は目をパチクリ。そこは、よく解んないことを云いかけられた時は、
まず、やってみる、という主義のお京さん。「はい、やってみます」と。
しかし、それからが大変。考えても考えても構想がまとまらず、敏腕
編集者に相談すること幾つたびか・・・ とうとう、業を煮やしたか、
諦めたか。名編集者の黒田君が「解かりました。先生は好きに書いて
下さい。原稿を見て、区割りは僕がやりますから」と言ってくれた!
ホント、この本は、彼のお陰で書けました。
でも、かなり大変だったけど、出来てみたらなかなか面白い本になり
ましたよ。
まず最初の1章2章に、「和声法が理解できると、あなたの音楽活動に
どういう"いいこと"があるか」という事を、事細かに書いているの
ですよ。
これが、世間一般の和声の本に欠けていること、なんですね。だって
そうでしょ?
音楽大学に入る。希望に胸膨らませた娘たち・男の子たちも。入学
オリエンションで「必修科目」に「和声法」を見つける。授業が始まると、
いきなり「これはOO度の和音でぇ、OO度の和音の後においてはいけない」
だとか、「こことこことは連続5度になっておるぞ」だとか。
まるで訳のわかんないことを並べる教師が・・
で? これが出来るようになると、どんないいこと、私が嬉しいようなこと
が起こるのかしらん、と思いません? 当然ですよね。その思い。でも、
その答えをくれる理論教師に会えた人は、ほとんどいなかったと思いますよ。
元来、理論の教師になる人って、そういう発想を与えられていないし、
訓練も受けていない。
私は、大学を卒業してすぐから、音楽を小さい子供に教えている女性たちの
群れに飛び込んだ。
そして、彼女たちに和声を教え、伴奏が付けられるようにならないと、
仕事にならない「現場の修羅」を眺め続けて来ました。
そして、和声法を早い時期に、確実に身に着けされる教育が必要だ、と
切実に思ったのです。
ところが、読んで解る教科書がない! これは致命的に困ったことでした。
そして、やっと2冊の本を書いて。
更に「和声法・その周辺」とでも言いたいように本を書かせてもらえる
段取りまで来た訳です。嬉しいですよ。
どうぞ書店でお買い上げ頂き、解らない所、著者に聞きたいことがあったら、
このHPの「お問合せ」からメールを下さい。出来ることなら質問に
お答えします!!
]]>
「土田京子ティーチング・プロジェクト第1回」が行われました。 ここに表紙を掲げてあります、
雑誌「ムジカ・ノーヴァ」に昨年7月号から「土田京子の 学び直し和声塾」を連載しているご縁
からです。初めにお話があった時、私は編集長にお願いしました。「和声法と云うのは、書いて
伝えるだけではどうしても限界があります。しばらくしたら、出来れば定期的に、あるいは単発でも
“対面授業”をさせてください」って。元来が出版社であるムジカ・ノーヴァ社がこの願いを聞き
届けてくれたのは、破格の待遇だ、と私は感謝しています。
当日は、会議室のサイズに丁度良い聴衆が集まって下さり、楽しく授業が出来ました。
「和声法は音楽という山に昇る、もっとも素敵な近道である」と云い続けてきた私。
本当にちょっぴりの人しか、その声に振り返ってくれない長い道のりがありました。
でも、こうして大きな出版部数を持つ雑誌に連載をさせて貰い、「読者の評判もいいですよ」と
励まして頂いて、1年が過ぎたのです。 そして、ずっと夢見ていた読者とのご対面。
嬉しかったですねぇ。中には諏訪から新幹線で駆けつけて下さった、という方もいらした。
有難いことです。
もうしばらく続く連載で、より多くの方とお知り合いになり、和声の魅力を自分の中に取り込んで
頂けますように、と頑張るつもりです。
このブログをお読みになった方、ムジカ・ノーヴァもお店で手に取って下さいませ。そして、
出来る事ならゆっくり読んで頂きたい。私の記事だけでなく、とても面白い記事が沢山あります
から。
]]>「土田京子ティーチング・プロジェクト」。思いのほかに大勢の方にお越し頂き、
盛況でした。有難いことです。
2018年夏から、雑誌「ムジカ・ノーヴァ」に「和声法学び直し塾」を連載して
います。その連載の始めに私から編集長にお願いしたことは。
「しばらく書いたら、是非とも対面授業のチャンスを作って欲しいのです」という
ことでした。私は何冊かの和声法の本を既に出版していますが、和声と云うのは
何としても対面で説明し、質問して貰い、実習してゆかないと、実際の感覚が
つかめない。 ムジカ・ノーヴァは、沢山の現役ピアノ教師に読まれている雑誌です
から、現役の先生方の教え方に和声法が役に立って欲しい。また、一番早く、そこへ
行き着ける媒体だ、と思っている訳です。
雑誌で広報し、当日は会場を提供して頂き、社員の方々を動員して頂き・・と
かなりな手間のかかる企画。快く実行して下さった編集長及び、社員の方々に感謝
です。
当日。会場に3~4名の壮年の紳士の姿。ちょっと目立ちましたね。 後でこっそり
聞かれましたよ。「先生のお弟子さんですか?」 まぁ、弟子と云えば弟子。最近
なかなか賑やかな「和声法・通信添削倶楽部」のおじ様方だったんです。 私も初めて
お目に掛かる方々。なかなか一人づつはお目に掛かれないので、ああいう折に「はじめ
まして、こんにちは」と。 この通信添削倶楽部も面白いのですよ。全国各地に飛び火
しています。 和声法は、最終的には「対面授業」が欠かせない。けれどもそれを言って
いたのでは、話が前へ進みません。初めは大変ですが、通信で少しづつ慣れて頂いて、
時にはこうしてお目に掛かれれば、相手の方の現状も把握できる。
先月の大阪で。少し時間にゆとりがあったので、大変熱心に課題を見せて下さる男性に
お目に掛かりました。お医者様だ、という方。着席するなり取り出された、私の著書。
その「使い込まれ振り」に感動しました。こんなに一生懸命読んで下さっているのか、と。
和声の事が解りたい、と思って下さる方は沢山いらっしゃるのです。元気づけられました。
編集長によれば、幸い、ティーチング・プロジェクトの滑り出しは上々で、お出で頂いた
方からの評判は悪くなかったようです。
次のチャンスを待ちます!
会を終えて。手伝ってくれた助手クンとすぐ前の「珈琲館」で軽い食事を摂っていると。
おや? 会場でお会いしましたね、の方が。 どちらからともなくお話をして。何と諏訪から
日帰りでいらして下さった由。嬉しかったですね。 軽井沢の親類の家で「お出会い
レッスン」をしよう、なんて、盛り上がりました。私も度々そこに滞在するし、彼女も
軽井沢までなら気軽に出かけられます、なんて。
更に後日。参加者からご丁寧なメールを頂いた。「当日は仕事で少々早退して失礼した。
とても楽しく聴いた。和声がこんなに身近に思えたことは初めて」とこれ又、嬉しいコメント。
この方は都内在住とのことで、又、何かのご縁が出来そうね、と云い合っている。
一つ、行動を起こせば、次の波紋に出会えるのですね。
「和声と仲良くなって下さいナ、きっとあなたの演奏とティーチングの有様が素敵な
変化を見せるから」・・・という私の積年の主張と願いを実現するきっかけを下さった
ムジカ・ノーヴァ関係者に改めて感謝したことでした。
]]>
「土田京子のティーチング・プロジャクト」を開催します。
いらして下さ〜い!!
音楽の友社の雑誌「ムジカノーヴァ」に「和声学び直し塾」を連載して
およそ1年。これまでの話題を基に、実際の和声課題の解き方と、一部、
名曲で和声がどのように息づいているかを、実演、お話ししよう、という
試みです。雑誌の誌面でお会いするだけでなく、このブロク上でお会いする
だけでなく。
土田京子に 会いに来て下さい! お待ちしています。
時: 2019.8.28.(水)10:30〜12:30
所: 音楽の友社 2F フェニックス会議室
(地下鉄東西線・神楽坂駅・1番出口より徒歩1分)
受講料: 2000円
教材: ムジカ・ノーヴァ2019.5月、6月号
定員: 先着30名 五線紙と筆記用具持参のこと
申込: http://ontomo-shop.com/
E-mail:musica_ontomo@ongakunotomo.co.jp
]]>間もなく書店に並ぶだろうと思います。
詳細はまだここには書けませんけれど、我ながらなかなかよく書けている、と校正をしながら
ニンマリしています。しかし、これには編集者の腕前が大きくかかわっています。
その「影の立役者」に、本当に感謝。
その中でも書いているのですが。
そもそも、「和声法」が人々に嫌われた大きな理由は、「このなかなかに厄介なもの、
唯々、ルールを並べただけに思える本を頑張って読み、課題を解く苦労は、一体何の役に立つ
んだろう」と云うのが、とても沢山の学習者の偽らざる感想であろうと思うのです。
音楽をよく理解するために、どうしても要るんだよ、と先生に云われて。あるいは入って
しまった音楽大学という「檻の中で」やらないという選択肢はなかったから勉強してます、
という学生さんにとって。「そこんとこのつながり具合を解らせてよ!」という想いは
つよいと思うの。
さて、今日の朝。頃はお盆に差し掛かる酷暑の中を、一人の弟子が「先生、ヴァルトシュタイン
の1楽章の分析を教えて下さい」とやって来ました。 Beethoven が1802〜3年に書いた
ピアノ・ソナタの傑作です。
私にはとても嬉しい注文。そう、私はピアノ学習者が、自分の弾いている曲に、曲の本質に
ほとんど興味を持たずして、唯“Task・しごと”のように弾くのを、哀しく思って来ました。
この女性は、私と和声法の勉強をし始めて4年程。「さらい方勉強会」にも参加して1〜2年に
なります。
「さらい方勉強会」とは、まずは自分が弾いている曲が何を訴えようとしているのか、どんな
感情を聴き手に伝えたがっているのかに目を向けよう。それが解れば、どういう手順で練習
すれがいいか、さらい方(練習の仕方)が見えてくるだろ?という会なのですが。
突然の電話で、「個人レツスンして下さい」と。
この曲は弾く技術としても難易度は高い。それだけに、ピアノ椅子に座る前にしておかねば
ならないことがいっぱいあるのです。
? Beethovenの人生の、どんな時期に書かれたのか。(57歳で死んだ彼の、32〜3歳の作品)
? 幾つの楽章があるのか。各楽章に与えられた表情記号は? 調性・拍子・それぞれの小節数
を列挙しておく・・・ これは全体の演奏プランに大きな参考になります。
? まずは1楽章です。主題はどんな形をしているかな?どこまでが一塊? 調はどんなふうに
移ろうているかな?
? 形式は何? 一番可能性か高いソナタ形式を疑ってかかるんだが、だとしたら、第2主題は
どこにある?
ざっと挙げただけでも、この位はある。そしていよいよ、曲の詳しい観察に取り掛かるのです。
この時、和声法の力がモノをいう! あ〜、この主題は和音の交代がはっきりしているなぁ、
とか、う〜ん、ここの所はず〜〜っと、同じ和音が続いてるゾ。どうしてなのかなぁ。どう
弾かせたいのかしらん。このフシ、綺麗なメロディだなぁ、その時の和音交代の具合と、フシと
ベースラインの設定がなんて絶妙なんだろ、素敵。あ、転調してる!なんて具合に。
こういう場面で、てきぱきと、自らの疑問に応えられるように下準備をしておくのが、「和声法
を学ぶ」の本当の目的なんです。
昨日の彼女は「ふ〜ん、私、随分見落としをしていましたねぇ。」とため息をもらしておりました。
でも、私、言ったんです。「私は嬉しい。あなたが和声法のクラス来てくれて、辞めないで頑張った
お蔭で、このなかなか複雑な曲を分析しないでは弾けないことに気がついてくれた。だからこうして
一緒に勉強出来たんだもの。」と。ホントにホント。
あなたも「好きな曲を知る旅」をしませんか? ご一緒に!
2019.8.12. 土田京子
]]>
・2019.
・ 8/27(火) 10:00~12:30
・ 9/ 3(火) 10:00~12:30 この日で今年度は終了。
2019.10.1 新年度が 開講します。 新しい仲間を待っています。
費用・規約など お問い合わせ下さい。
音楽史の把握は、音楽を学ぶ上でとても役に立ちます。
こちらのクラスを、是非一度、ご見学下さい。
これまでの通り、「フランス様式の和声法を学ぶ」は、そのまま継続しつつ、残りの時間で
英国王立音楽検定。まだ日本ではそれ程知られてはいない検定です。
私はこの制度と不思議なご縁がありまして。まず1972年、夫の転勤で
住んだカナダ・トロントでこの検定に出会いました。
初めて住んだ外国。1年の半分は雪に覆われている国で真冬から始まった
生活は右も左も解らないものでした。当時2歳半の娘を抱えながら、再び
ピアノ科学生として学んだ3年半は、実に新鮮でした。
高校まではピアノ科に在籍し、大学で作曲を学んだ私。
その中心にあったのが、「英国王立音楽検定」への挑戦だったのです。
その内容は魅力的でした。
まず、学生の最高レベルの試験を受けるように云われました。
演奏に置いてはバロック・古典・印象派・近現代のカテゴリーごとに
リストされた曲の中から選曲してプログラムを作ります。大体演奏時間にして
正味35分位。これを暗譜で演奏します。更に「技術があることを証明する」
テストがあり、膨大な数のスケールのテスト(これの準備がとっても大変でした)
と既定のエチュード。 両方をクリアして、最上級のDioloma に挑戦出来た
のは、第二のピアノ科生活が2年目に入った頃でした。
Diolomaのピアノ実技試験を受ける前に、和声法と対位法の試験、それに
音楽史の口頭試問がありました。これは、作曲専攻であった私には、まったく
苦にはならないものでしたが、日本の音楽大学で楽器を主専攻とした人だったら
相当程度にキツイなぁ、ということに大変驚きました。あのような試験に
対応すべき教育はまったく、なされていませんから。
そして、日本に戻って子育て、大学の教職、ヤマハ音楽教室の講師さん方に
和声や伴奏付けが出来るようにするべくの講習と、唯々仕事に忙殺される日々を
過ごして。2005年、当時の王立音楽検定の日本代表事務局から「手伝って
くれないか」とのお呼び出しがあったのです。
そして、諸々のお手伝いをして現在に至っています。
この制度について、興味をお持ちの方があれば、どうそお問い合わせ下さい。
ご説明します。
]]>
何人かの方からお問い合わせを頂き、中には通信を利用しつつ、月に1回ほどの対面レッスンに、東京・練馬の
私のスタジオまで足を運んでくれる人も出て来ました。嬉しい進展です。
和声法を通信だけで、というのは私が書きましたように「なかなかの冒険」なのです。
和声法の伝授は少なくとも「集団授業」で、理想としては1対1の個人レツスンで行われます。
しかし、学校教育の場では和声法に出会えなかった。だけど、大好きな音楽と付き合って行くうちに
和声法の重要さに気がついた。だが、どこで勉強できるんだ??という方々の為に、いろいろと
困難はあろうけれど、「通信で学ぶ・という冒険」に敢えて踏み出したのでした。
そして、様々な「今までの経緯」を持った方々に出会いました。
結果、それは「よい船出」だった! 確かに困難はあるけれど、皆さん、熱心なんです。
私にとっても、素敵な冒険。幾人かの方との、実りある経験が続いています。
新たな参加者の出現を、ワクワクしながら待っています。
]]>博多で。ちょっとした時間の切れ目に。
この、20世紀最大の天才歌手が没して42年、今にしてまったく色褪せない
彼女の才能に改めて出会えた幸せな2時間だった。
私は若い頃を、オペラとはほとんど無縁に過ごしてきた。唯々、自分の
目の前の勉強に追いまくられていたからだ。「音楽で生きて行きたい」と
思い染めた中学生の頃。高校・大学の受験。大学生時代の恩師の、強烈な
「シゴキ」・・ 学生を終えれば、社会の中でどうやって自分の立つ場所を
見つけられるのか。結婚、子供、海外転勤。女の20代はなんて忙しかったん
だろう。
そして、36になった時。とんでもない才能のピアニストに出会って。
意を決して、本当に意を決して「教えて下さい」と門を叩いた。そして言われた
ことは。「あなた、モーツァルトのオペラ、幾つ見ました?」・・・
オペラというもの、私の年代の日本人には、一番遠い所にある科目ではなかった
ろうか。何しろ、日本人が演じるオペラは、まだまだ発展途上にあり、外国からの
「来日公演」は、それこそ「高峯の花」だった。(高値の・・でもあって)
しかし、そのハンガリー人ピアニストに言わせると、「モーツァルトの曲を
弾こうと言うのに、彼のオペラを見たことがない、なんて考えられないわ」と。
今では「まったく以てごもっとも。当然至極です」と思います。が、しかし・・・
そうしてしばらく、私はオペラを見まくった。当時はまだDVDが主流ではなく、
レーザーディスクかビデオの時代。本物も、お財布はたいて観はしたが、とても
追いつきませんからね。
そうこうするうち、マリア・カラスの盛名を知ることになる。初めて接した時は
驚きましたね。「何なの、この人」って感じ。すごい声量、技術、図抜けた容貌
等など。加えて、ギリシャの大富豪・アリストテレス・オナシスとの華麗な恋。
アオナシスの前・アメリカ大統領夫人・ジャクリーヌ・ケネディとの電撃結婚
etc・etc。 話題豊富な事と言ったら。
しかし、今回のクロニクル的映画で、この歌手のとんでもなさを改めて思い知った。
映画には、沢山の彼女の最盛期の舞台での熱唱が取り上げられるのだが、どれを
見てもとにかくすごい! 彼女の素晴らしさは、声の中に住んでいる得も言われぬ
「抒情」だと思う。本当にその役の「心情」をカラスは、天から与えられたその「声」
という資質を使って、余すところなく吐露する。 多くの人が彼女の歌う劇中人物に
涙したというのもうなずける。
このブログを読んで下さっている方も。どこかで見つけて、観て下さるといいなぁ。
]]>
でした。
ある音楽大学の付属高校の1年生。音大付属中学から高校へ進んだ所で、私の専門である
「音楽理論科目」の授業内容が急に難しくなって、困っている。何とかこんがらがった頭の
中の糸をほどいて欲しい、というご依頼。
高校1年、というのは実にいいタイミングです。子供であり過ぎることもなく、とても
吸収力のある年代ですから。
付き合って見ると、この学校の勉強内容はなかなか緻密で、クラスの仲間の程度も高い様子。
「いい学校に通ってるのね」、なのですが、それだけにちょっと気を抜くとすぐに「今の
話なに?」って具合に、不安な思いが膨らんでしまうらしい。
幸い、彼女は頭の片付いた子で、こっちの話を理解するのも早い。何に困っているかを説明
できない子が多いのが、私の専門分野の特徴なのですが、このお嬢さんは「ここから解らなく
なった」というポイントを教えてくれるので、仕事がやり易かった。
それでも、課せられる課題内容はなかなかのもので、一緒に挑戦し、何とか自力で答えを
出せる所まで手を曳いてゆくのは、そう簡単ではありませんでした。
「たまたま、コーチを見つけられたあなたはいいけれど、ガイドなし・でこのペースに追い
付いていくのは、大変ねぇ」と、よく二人でためいきをついたものでした。
和声法の捕え方の解説、解答の書き方、実作の添削・・・ 一緒にする作業は沢山あります。
しかし、楽しいですね、こういう仕事は。若くて、吸収力のある頭と付き合っていると、自分も
元気が出ますから。
そうして時が過ぎ、彼女は春には3年生。いよいよ専門のピアノにより多くの時間を割かねば
ならなくなって、私の許を"卒業"して行きました。
基礎理論の勉強に「目鼻がつき」、そろそろ大学での希望の形を手に入れるには、ピアノに注力
したい、とは、当然のことではあります。
「そろそろ、弾く曲の分析に進もうかなぁ」と考えていた私には、ちょっぴり名残惜しい幕切れ
ではありましたが、いかに内部進学とはいえ、受験生であることには変わりがなく、いわば
正念場を迎えようとしている彼女の背中をたたいて送り出したのでした。
私の希望は、高校生位から和声法をきっちり仕込んで、大学に進む頃には「楽譜の裏側が読める
人」になっていて欲しい、というものです。このお嬢さんはかなり順調に進歩してくれていたので、
さて、これから・の時だったのですが。まぁ、自分の力でしっかり立てる大人になって欲しいもの
だと思っています。
高校生の内から「和声法」の大切さに気がついてくれる子が、これからも増えていってくれると
いいのですがねぇ。それには、親御さんの理解と、楽器の先生の後押しが必要です。
大人同士の連携の道も探らなくては。 2019.2.月
]]>
なんです。例年、7月の末、遅くも8月のお盆前には終了しています。
10月2日(火)に 新年度の開講しました。新しい方のご参加を
お待ちしています。
内容は:
1. フランス風儀の和声法を学ぶ
まったくの初心の方は、土田京子の「説き語り和声法」(現在名・「和声法が
さくさく理解出来る本」)を読み、課題に挑戦する所から初めて頂きます。
更に課題集でもある「スーパー和声法」(現在名・「和声法がぐんぐん身につく
本」)に進み、それを書き終えたらパリ国立高等音楽院教授であった、和声法の
大家・Hanri Challan (アンリ・シャラン)の「380の和声課題」に進んで
もらいます。 以前に学習歴のある方は、それの復習から。入り方はそれぞれの
方のニーズに合わせてスタートしましょう。 このプロセスは、まったく個人
ごとにコーチをし、足りない部分は通信添削で補います。
2. 音楽史を学び直す
2016年の途中から、バッハのフーガの分析を完了しましたので、音楽史に
入りました。「クラウト=パリスカ 新西洋音楽史」をひも解いています。
2018年10月の新学期、「初期バロックの音楽」の辺りを読み込んでいます。
学生時代に一通りの講義は聞いたけれど、今やさっぱり覚えていない、と
いう人。私は音楽学校へは行かなかった、という人。どうぞご参集下さい。
土田自身、学生の頃にはまだ音楽史の重要さを本当には解っていなかったの
ですから。そして、大人になり、教師になり、より深く音楽と向き合うように
なってしみじみ「これではいけない」と感じた。そこで塾生をけしかけて
いっしょに勉強を始めたのがおよそ30年前。やはり、人間真剣に学べば
次第に歩いている道が明るくなるものですなぁ。 本当にいろいろのことに
気が付き、読む本の範囲が広がり・・ 今は楽しくてたまらないのです。
よい演奏をする為には、分厚い「裏打ち」がなくてはなりません。その絶対の
第一歩が和声法の基礎知識。 次が楽曲形式への理解、そして音楽史です。
一つ、一つ、ご一緒に歩いて行きましょう。ご参加をお待ちしています。
当HP の「お申込み」からご連絡下さい。
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平日(月)のこととて、道は空いていますし、快適です。友人は新車を買ったばかり!
これまた、乗り心地がよろしい。 朝、ちょっと早めに出発。まずはちょっとした
おやつと飲み物を調達して、さあ、行こう!!
いくつになっても「遠足」は心弾むもの。もっと沢山、お友達を誘いたかったんですが、
案外、まだ皆さん働いているのよねぇ。我らのごとき「時間大尽」の退職者に、早く
おなりなさいよ、と心中つぶやく。
(私たちのような"職人"職業には、実際には定年は無いのですが)
スイスイと道は捗り、目的地に着きました。ここは、とっても有名らしい。もの凄い
スペースの駐車場が用意されています。がそれでも足りず、最近、JRが徒歩圏内に
新駅を作ったんですって。で、もっと奥まった所に巨大な駐車場を造り、そこからは
「引き込み線」みたいにして「ドライブ&ライド」として宣伝しています。それ位の
人気なんだそうな。入場料1800円。ほう・・という感じ。所が中へ入って「こんな
入場料ですみませんねぇ、こんなに見事なものを見せて頂いて」という感じ。実に
美しく手入れがされています。いろいろな花がありますが、何と言っても圧巻は藤の花。
すっごいンです。その藤棚の面積が。歩くと顔に降りかかって来る程の永い花穂がテニス
コート2面分位はありそうな広さの棚から、優雅に揺れているのです。しかもそれは、
たった1本の老木が枝を広げている姿なのですよ。想像してみて下さいナ。
そして、何とも云えない「あえかな香り」が漂って来る。それは見事なものです。
藤色の花と、白の花。黄色の藤もあるらしい。こちらはまだ咲き初めでしたけれど。
いやはや、本当に命の洗濯! 持つべきものは友、です。
2018.5.5.
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東京の地下鉄で、とっても嬉しい有難い駅員さんに会いました。
当節、一歩家を出れば、コワイ話や不愉快な人物に出会うことの何と多い事か。 電車の中で
だって、足を投げ出して座って、赤ん坊づれのご婦人や、辛そうにしている年寄りに気付かぬ
ふり、としか思えない傍若無人の若者も多いのです。 駅員さんだって、何か聞いても「私の
仕事を増やさないでよ」、ってな人も多いのですが。
今日はホント、素晴らしい人に出会ったのです。
で。あんまり嬉しかったので、お手紙を書きました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
東京メトロ お客様センター宛。「御礼」
本日、2017.11.16. 神宮外苑の銀杏を見たいね、と夫と出かけました。お昼の12:
貴駅「明治神宮前」で下車、
駅員さんにお尋ねしました。「渡辺さん」という男性でした。「
ねぇ」「歩けないですか?」「うーん、お歩きにはならない方がいいと思います。
”外苑前”までいらしたら至近ですよ。もう、改札は出られてますね?
清算だけ出来るようにしておきましょう。どこから乗られましたか?」「氷川台からです」・
何やら紙を書いて下さり、私共夫婦は目的駅で駅員さんにその紙をお見せしたら「
ありません」と出場用の切符を下さり、無事に出場。美しい風景を堪能して参りました。
嫌な事の多い世の中ですが、
駅長さま、職員の皆様の常々のお仕事ぶりが思われます。
練馬区在住 OO倖三 京子
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そうしたら。即日、心温まるお返事が来ました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
東京メトロお客様センターです。
平素より、東京メトロをご利用いただきまして、
また、お忙しい中、ご丁寧に、
ご返信は不要と承っておりますが、
ことに感
この度はお忙しい中、
このようなお言葉をいただきますと社員一同、
お申し出の内容は、
ともに、所属する他の社員にもお客様からのお声を共有いたします。
今後ともこの気持ちを忘れることなく、
努力して参ります
今後も、東京メトロをご愛顧賜りますよう、
東京メトロ お客様センター
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
先日、新聞・ラジオで、顧客からの過剰なクレームに悩むデパートなどの販売員が多数ある、
との報道がありました。勿論、文句を言いたくなる販売員が居るのも事実でしょう。
明らかに正しくない応対や商品の不備があった場合は、それを糺すのは消費者の権利では
あります。が行き過ぎはいけないのと、逆に、今回のように思いもかけない程の親切に
出会った時は、きちんと、お礼を言いたい、と私は思う。
人の心は「相互通行」! 示された親切や真心を、きちんと受け止め合って生きて行くのは
楽しく、嬉しいものですもの。 本当に爽やかで素敵な方だったんです。その「東京メトロ」
の駅員さん。「渡辺さん・という人だったよ」と、しっかり名札を見ていた夫にも乾杯!
世の中、少しでもいい事、楽しいことを見つけて暮したいものです。
あるようになりました。 私が27年来楽しんでいる俳句に、「春隣」という素敵な季語があります。
日本に昔からある暦というのは実に素晴らしい。寒いのに、確かにどこかが違っている。春がすぐ近くまで
来て、冬の占領地帯の扉一枚向うで出番を待っている、と感じる頃を表す言葉です。 こんな言葉を持って
いた先祖を誇りに思いますねぇ。
そんなこの頃。私の周りにも嬉しい風が吹いています。
昨年の暮れ辺りから、ボチボチ現れた「和声法を通信添削で実習したい」という希望者が・・・
2009年、初めての和声の本「説き語り和声法講座」を上梓した時、思い切って巻末の言葉に「通信添削を
受け付けます」と書きました。それ以来、随分何人かの方からアプローチを頂いた。お申し越し下さる方の
和声法の下地は様々です。
音大出身者も、そうでない方もおられます。 そのどちらでも、まったく構わないのです。
ただ、どういう場合でも、可能なら、一度私に会いに来て下さい、とお願いをします。何故なら、和声法・
ってどんなものなのか、顔と顔を見合わせてお話しし、どんな手順で勉強に取り掛かって下さると、効率
良く勉強が進むか、ピント合わせをしてからスタート出来るといいな、と思うからだす。
可能な方も、難しい方もいらっしゃいます。PCでのお申し込みの凄い所は、日本国内は元より、外国から
だって申し込みが「隣の町から」のように同じ顔をして飛び込んでくる、ということ。 で、とても会える
距離ではないが・・・という方も。
しかし、この所とても幸せに勉強をご一緒している方々が増えました。 今月・2018.3月の末には、沖縄県
那覇市から「東京へ行く用がありますから、先生のお顔を見て、添削をして頂いたものへの質問を溜めて会いに
行きます」というピアノの先生の嬉しい訪れを待っています。大阪のお医者様で、(お忙しいでしょうに!)
きちんとピアノのレッスンを受けては、時には公開の演奏をなさる、という方。きちんきちんと課題を解いて
送って下さいます。頭が下がりますね。「音楽をちゃんと解りたい」という情熱に。
こうした方々との出会いが、私の仕事への前進意欲を支えています。
沢山の方が、「和声が解れば音楽が解る」という私の主張に耳を傾け、一緒に学んで下さいますように、
と願い続けて、仲間になって下さる方を待っています。 2018.3.3.
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本当に大変だと思います。でも、それを押して帰りたい気持ちも解り過ぎる位に解るので、東京の家に
「お籠り」して過ごすことにちょっと感慨を持ちつつも。
と云いながら、今年の夏は15歳と12歳の孫を引き連れて、酷暑のイタリアを歩いておりました。
それはそれは、暑かったです!!! しかし、子供というものは、チャンスのある時に連れ歩かない
と、金輪際、一緒には出掛けられなくなります。おばば様と致しましては、少々無理をしても、
ヨーロッパ文明発祥の地(くわしく言えばギリシャ・かも知れませんが)であるイタリアを彼らと
共に歩きたかったのです。
いろいろな事は起こりましたが、とてもとても有意義で、楽しい旅になりました。今回は完全に
彼らのアテンド。ですから、夜、酒飲む相手がいないことと、オペラやコンサートに行けな
かったのがちょっと不満!でも、まぁ、それも最初から解ってのことですからね。
それともう一つ。出来る事なら、もっと「事前勉強」を重ねてから出掛けたかったのですが、
15歳の息子は、今年の春に受験勉強から解放されたばかりの高校1年でしたから、4月の入学から
初めての夏までの間は、学校に慣れることに費やされてしまったのは仕方のない事でした。
塩野七生さんの「ローマ人の物語」(文庫本で全43冊)は、1年半前から渡してあったの
ですがねぇ。ま、彼らは若い。いつの日か、私がかじりつくように読んで読破するのに1年半を
要した、此の最高に面白い本を読んでくれるでしょう。これを読んで置くかおかないかは、
イタリアを歩く時間を倍、3倍も面白くしてくれます。 なかなか、「歴史大好きおばば」の
思いは満たされないのですが、彼らが育つ傍で「あれが面白い」の「あれを読んでおけ」だのと
叫ぶおばばの存在を「そう言えばばぁばはこれの事を云ってたんだ」と思い出してくれる日を
楽しみに。その時は、多分、私はお空の上・ですけどネ。
で、月日の過ぎるのは年々そのスピートが上がりまして、もう、年の暮です。
師走に入って13日は「事始め」。俳句を嗜むようになって27年、お蔭で季節の行事に敏感になり
ました。
この日から「年越しの準備を始める日」という意味です。京都に部屋を持っていた時分、街を
歩いていて、「おう、今日は・・・」と気付かせられることがありました。祇園の近くを歩いて
いると、正装した芸妓さん舞妓さんに会うのです。それはこの日、祇園町では井上流の舞の
お師匠さんに、芸・舞妓さん方が銘々可愛いお供え餅を献納し、師匠から「今年もよう、
気張らはりましたな」と、ご祝儀を頂いて帰る、という風習が有るのだそうでして。
更に詰まっていた仕事のスケジュールが一段落した快晴の師走初日。ちょっと遅くなったけど、
と神宮の銀杏を眺めに行きました。我らにとっては「二人吟行」です。専ら俳句を作る為の
「お散歩」。最盛期は凄い人、なんですがもう人影はまばらです。しかし、皆さん手に手に
スマホかカメラ。一体いつから日本人は総カメラマンになったんだい?と云いたい。
大したもんですなぁ。 我らはただのんびりと歩く、歩く。時々ベンチに腰を下ろして。
あぁ、すっかりご隠居さんになったなぁ、と感慨を持ちながら。
しかし、これもいいもんですよ。40代、50代は息つく暇もない、って感じの忙しさだったし、
60代も結構動き廻ってました。ここへ来て、ちょっぴりゆとりが出来たかなぁ。まだ、
カレンダーに「一日、誰も来ない、どこへも行かない」つまり、お散歩・に出かけられる日を
探すのはなかなか大変だけども。
そして、師走10日。高輪の泉岳寺へふらりと出掛けた。後4日で「義士祭」です。何年か前、
偶然にこの祭りに遭遇したことがあります。義士に扮した人の行列が行き、沿道は大した
賑わいでした。その時、活躍していたのがお相撲さん。手間を掛けなくとも、髷を結って
ますからね!! へぇ〜、そういう利用法があったか、と一緒に居た友だちと、エラく
感心したことを思い出します。
極く普通の日ですから、参拝の人もチラホラで静かなもの。ゆっくりと墓を見て回れます。
全員に切腹した時の年齢が刻まれていますが、十八歳、十七歳、というのが在って、
胸を撞かれる。孫が出来てから、こういうのに弱いんです。
そうこうするうちに、俳句で云う「数え日」になりました。「あぁ、今年もOO日」と
数えられるようになる、という意味の季語。私はこの季語が好きなんです。
わが町内では3年前から「夜回り」(お役所言葉では“歳末警戒”と呼びます!)を始め
ました。喜んだねぇ、アタクシ。これが大好きなの。拍子木の響きが溜まんなくいいのよねえ。
「火の用心・カァ〜ン、カァ〜ン」という、あの瞬間が好き!! まったく、変わった趣味と
言われるかも知れないけれど。で、仲間と町内を一回りした後は、「寒かったわねぇ。」と
お疲れ様の一杯! 近所の人々と、年に2〜3回の貴重な交流タイムです。今年は、
「9月に越して来ました」という若いパパが参加して下さり、一同大歓迎。楽しかったですよ。
こうして、あっという間に今宵は大つごもり。 ゆっくり片付け物をし、ぐだぐだとテレビを
見て。世間では、きっと大忙しの時なのでしょぅに、どうも相済みません、て感じです。
雨という予報ではありましたが、もしも、降らないでいてくれたら、毎年恒例、近所の由緒ある
禅寺へ、除夜の鐘を撞かせて貰う、順番札を貰いに出かけます。23:20位までに行きますと、
割と若い番号が頂けるのです。
皆さま、どうぞよいお年を!!
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私がこれまでにヤマハから出した3冊の本。
? <これだけは知っておきたい>「説き語り楽典講座」(2005年初版)
? <これだけは知っておきたい>「説き語り和声講座」(2009年初版)
? <解きながら身につく>「土田京子のスーパー和声法」(2014年初版)
が3冊とも電子版で読めるようになりました。ご活用下さい。
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2017.9.15. 私の本「説き語り和声法」が文庫本になったのです。
出したのは、前著と同じヤマハミュージックメディア。
題名が変わって、「和声法がさくさく理解できる本」というのです。
私は前の名前の方が好きだった。だから、出版社から「題名はどうしますか?」
との打診があった時(一応は礼儀として聞いてくれます)「和声法が解る本」じゃ
どぉお? と言いました。 でも、やんわりと却下。 最終的に決まったのが
上記の通り。アタシ・不満だったんです。<なんだかなぁ・・ 面白っぽすぎるよなぁ
・・> ところが。どうやら、これが成功の秘訣のようでした。
つまり、私は現代の言語感覚について行ってない、ということだったらしい。
この本、当ってるんです!!!! 9/15に出て、11月初めまでに初版が売れてしまった!
信じられない勢いです。すぐに「再版がかかりました」とのメール。 そして、
11月の終わり頃に「先生、3版を摺りまぁす」ですと。
一体何が起こったのか、私には解らないのです。
でも、とにかく嬉しい!
そこへ、12/7.ある生徒が「ご注進、ご注進」と。「センセ、今、銀座のヤマハに居るん
ですけど、先生のご本が会計カウンターの所に並んでいます。何でも今月の売上げNo.1
だそうですよ」というのです。 えぇっ、そんなぁ と今日(12/9)自分で行ってみました。
ホントだったんです。わが眼を疑う、ってヤツ。 見てやって下さい。
更に、ヤマハの担当者から、これまたびっくりのニュース。
「先生、毎日新聞は読んでおられますか?」「いいえ、毎日新聞には友人はどっさり居て、
俳句会には時々顔を出すけれど、普段は読んでないわ」「12/2の東京版に割と大きな記事に
なったんです。主として書かれているのは、非常によく売れている吉松 隆氏の"調性で
読み解くクラシック"のことなんですけれど」。この吉松氏の本は実に面白い。作曲家としての
才能と実績はよく存じ上げていましたが、文章力と、ご自分の中にストックされたものを
言葉にして他者に伝える能力、またそうしたいという情熱に感動しました。とてもいい本です。
さて、彼女に送ってもらった記事を拝読。吉松氏の本と並んで、私の本が映っている。記事の中にも
チラリとだけれども言及が。
嬉しかったです。皆さん、1冊、買ってみて下さいナ。文庫は持ち歩きやすいのと、値段が
手頃ですから。(本体950円 税込1,026円)
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今年も暮れようとしています。「戦後70年」と喧しかった年も。
この記念の年は、同じ敗戦国・ドイツにもエポックだったんだなぁ、と思う映画たち。今年の秋、4本のドイツを題材とした映画を見ました。
私は相当なる映画好きでありまして、仕事で地方へ出る楽しみの一つが「映画を見ること」。東京にだって映画館は山程あるのですが、自宅がある街では、わざわざ出かけて行って映画を見る、というのは案外少ない。
が、旅先で仕事が半日単位だったりすると、まだ日が高いのに宿に戻っても仕方がない。そういう時は美術館か映画館へ、というのが京子流。
まずは「顔のないヒトラーたち」。
あらましは、アウシュビッツ収容所のことを世に知らしめた、若い検事の物語です。実話らしい。
ちょっと信じがたいことですが1958年(昭和33年)当時、アウシュビッツの存在はドイツ国内であまり知られておらず、戦後13年、ようやく落ち着きを取り戻しかけていたドイツ人たちは、戦争の記憶を忘れたがっていたのだという。言って見れば「臭いものに蓋」の社会の雰囲気が、この映画の冒頭部分によく現れている。フランクフルト検事局の新米検事が、ふとしたことからアウシュビッツの存在を知ることから物語は始まります。若く正義感に溢れた彼が動き始めると様々な妨害、忠告(そんなこと今更ほじくり返さなくても・・)が渦巻く。検事という職は完全な役人ですから、彼の動きも危うく封じられそうになるのですが。それを可能にしたのが、フランクフルト市検事総長・バウアーです。彼はユダヤ系で、ナチの迫害を生き延びた人だった。
私は、映画大好きなくせに奇妙に怖がり屋でして、残酷なシーンがとっても耐えられない。自宅でDVDを見ているのであれば、あまりにコワイ所は早回しにするか、一緒に鑑賞している者たちが居たら、席を外して「もう、怖くないぃ??」というテがあるのですが、映画館ではこれが鬼門・なんですよね。
この映画にも、随分心配したのですが、そう言うのはホンの少しで助かりました。 実際、自分の生きている社会が望まないこと、しかし、それをするのが正義だ、と感じたことを推し進める、というのはもの凄い勇気が要る。それだけでも凄いのですが、1963年、この若い検事と次第に彼の行動に感化される同僚たちの手で「アウシュビッツ裁判」が成立します。このことが、現在のドイツの戦争責任に対するスタンスを作る出発点になったのでした。
現在、ナチスの犯罪行為には時効がない、というドイツの姿の。
日本が同盟を結んで闘った国が犯した強烈な犯罪。私は生まれていなかったし、遠い極東の国、日本は一体どんな悪魔と手を組んでしまったかを知らなかった訳ですが、一つの記念の年にズシリと重い映画でした。作った人々に敬意を覚えました。
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「2つの名前を持つ少年」
一人のユダヤの少年が「死ぬな、生き抜け」と背中を押してくれた父の言葉だけを支えに、もの凄い戦争末期を生き延びる話。 最後に、現在もイスラエルで暮らす、実在の主人公が画面に登場する。
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「ミケランジェロ・プロジェクト」
これもまた、ふぅぅ〜と深呼吸してしまう映画でした。博多で。見終って宿へ帰るまでに原作本を買ってしまった!
ヒトラーが犯した犯罪の中で、膨大な・本当に膨大な美術品の略奪、という側面があったことは、私の意識の中にまったく存在しなかった。当然と言えば当然ですよね。戦争というのは命の問題で、美術品なんか振り返っている暇があるものか、なんでしょう。日本でだって凄い貴重な美術品が戦争で失われているのでしょうが、(私たちが意識を持っていないだけで)京都が爆撃されなかった幸運もあって、日本人はも一つピンと来ていない。
しかし、旅好きな私がヨーロッパをあちらこちらとほっつき歩いて。当然のようにOO美術館、OO王宮、と尋ね歩く、そこで、素晴らしい「人類の秘宝」を鑑賞できるのは、命を的に美術品を守った人々がいたお陰なんですね。
ルーブルへ行けばモナリザが、フィレンツェへ行けばダビデ像が見られるのを当然!と思ってはいけないのです。これらを守る為に“身体を張った”男たちのことを忘れては申し訳ないですよね。
ヒトラーの場合は、しっかり意図的に奪った。それも徹底的に。生まれ故郷のオーストリー領・リンツにかつて誰も実現したことの無い、とんでもない規模の美術館を建てることを夢見てといたとか。
ロスチャイルドを始め、ユダヤの金持ちの家は凄まじい略奪にあったそうですよ。私の親友の娘が結婚して住んでいる、フランスのシャルトル。パリから電車で1時間弱の静かな街ですが、大聖堂とそこのステンドグラスが大変有名。この大聖堂も危機一髪で残っているのだそうです。
この映画の冒頭に出て来る「ゲントの祭壇画」もミケランジェロが完全に自分一人で完成させた、超貴重な大理石の彫刻「ブルージュの聖母」・・・
このベルギーの街へは2度も行ったことがあるのに、それらの作品を見ていない! 命のある内にもう一度行って来なくちゃ!!と思ってしまいました。(実現できるかなぁ〜〜)
とにかく、皆さんも見てみて下さい。映画・万歳!
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「黄金のアディーレ」(名画の帰還)
これもナチに奪われたクリムトの名画を、オーストリー政府相手に訴訟を起こして奪還した女性、マリア・アルトマンの物語。
この絵は、写真を見れば誰だって「あぁ、知ってる」という有名な絵。ウィーンのベルベデーレ宮殿に飾られて「オーストリーのモナリザ」と言われた作品です。
長い頸に見事なダイヤの首飾りをした女性が描かれていて、余白の部分にふんだんに金箔が張られている。
映画の主人公マリアは、モデル、アディーレ・ブロッホ=バウアーの姪。幼い頃、叔母のアディーレに非常に可愛がられて育つ。ナチスに追われる過程で、この姪とその夫だけが本当に紙一重の幸運に恵まれてアメリカへ脱出することに成功します。
そして長い戦後の日々が過ぎて行き、82歳になってアメリカに暮らすマリアが、この絵の返還を求めて戦うプロセスと、その合間に挿入される、ヒトラーがどのようにしてユダヤの富を簒奪して行ったかが凄まじい。殺されることも(その殺され方も)恐ろしいが、平和に暮らしていた人々が、ある日突然、社会的なすべてを奪い尽くされるすさまじさに息を呑む。
「叔父がクリムトに画かせたのよ」と、事もなげに語るマリアの言葉から、彼女の家族の富のあり様が偲ばれるからなおさらに。
そして、一緒にこの映画を見た友人の「確か、クリムトの父親が金細工師だっのよね」という一言に、映画の冒頭シーン、金箔を見事な手つきで切断し、貼り付けて行く、作画の様子が納得出来たのでした。
因みに。この名画の貴婦人の首を飾っていた、目もくらむようなネクレスは、ナチスが倒れるまでゲッペルスの妻が所有していたそうです。大泥棒たち!!
お考えは様々でしょうが、私は断然「ヘンレ版」を底本として考えています。
Bach平均律の楽譜は様々の出版社からの物があり、校訂者もいろいろあります。
私はかなりな種類の楽譜を持っており、場合に応じて参考にしていますが、
「底本」といいますか、まず、意見を聞くのはヘンレ版です。
最近、滋賀の唐崎の勉強会でのこと。5人の人間が集まっており、3人が
旧版のヘンレ、2人が新版を持っていたのです。「新版」をいつ買ったか、
と騒ぎになったのですが、大体2〜3年前のようでした。
で。平均律2巻の17番のフーガを分析していて、声部の解釈が大きく変更
されて居ることに気が付いたのです。複数の人が集まって、違う版を持ち
寄っていた事の幸せでした。
うわぁ〜お、驚きましたね。これほど大幅な改定は、私は出会ったことが
ありません。
Invention & Symphonia で、小さな改定に出会ったことはありますが。
いやはや。 常々生徒に「楽譜・版の選定には細心であれ」と、エラそうに
言っていて、これに気付いていなかったとは、失策です!! 早速新版を
買いに走りました。油断大敵、です。反省を込めてのお知らせ!
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長年、私は東京・京都・大阪・博多 で、和声法、フーガの分析、楽曲のアナリーゼを講じ、又、ピアノの個人
レッスンをして参りました。
そうした仕事を通じて、願い続けて来たことは、私に代わって、あるい一緒に、「和声法を教える」ことの
出来る人を養成すること、でした。 熱心に勉強したくれる人、伸びしろの大きい学生さん・・いろいろな、
私を喜ばせてくれる弟子はおりましたが、なかなか「あなた、そろそろ教えてごらんなさいよ」の域にまで
行き着いてくれる人がいなかったのです。
が、この度、嬉しく皆様にご披露、ご紹介を致します。
私の仕事の拠点とは、かなり離れた場所で活躍している人たちである事が、私の歓びの一つです。
私に習いたい、と云って来て下さる方々でも、お住まいが遠いと続きません。
今回、ご紹介・お勧めする四人は居住地が私とも、お互いとも離れており、今まで、お問い合わせを
頂いてもなかなか対応出来なかった土地で、私の理想とする「音楽の基礎」を学ぶお手伝いを
してくれます。
「自分の弾いている曲を、きちんと理解して弾きたい」
「子供に教えるにつき、曲のこと、和声のなりたちのことを、自信を持って話してやれるように
なりたい」
「ヤマハ音楽能力検定」(通称・ヤマハ グレードテスト)の指導グレード4級に挑戦したい。
(きちんとした4声体和声を書く能力を要求されますから)
といった希望をお持ちの方に、お勧めします。
以下にご紹介、ご推薦申し上げる四人は、長く私の許でフランス流儀の和声法を学んで、コーチに
当たるに十分な能力を備えておりますが、指導に当たって、万一、何か悩むようなことに遭遇した
場合は、推薦人である、私・土田京子が、責任を持って応援に当たります。
* 土田スタジオ 船橋支部
千葉県船橋市 栗山講師 東京音楽大学音楽教育専攻 卒業
* 土田スタジオ 滋賀・大津支部
滋賀県大津市 岩坂講師 滋賀大学教育学部音楽専攻 卒業
* 土田スタジオ 博多支部
福岡市東区 吉松講師 福岡教育大学音楽専攻 卒業
* 土田スタジオ 筑紫野支部
福岡県筑紫野市 今村講師 福岡教育大学音楽専攻 卒業
このご挨拶兼お披露目を致しましてから、3〜4ケ月の間に、何人かの入門者を
お迎えして、各支部でのレッスンがスタートしています。嬉しいこと。
以上、4支部での勉強をご希望の方は、当HPのお問い合わせ よりお申し越し下さい。
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味わいました。
今回は小品ばかりを集めたプログラミング。
・ クライスラー: ウィーン奇想曲 Op.2.
・ クライスラー: ラ・ジターナ
・ ファリャ:(クライスラー編曲)スペイン舞曲 第1番 などなど。
会場の誰もが1度や2度は聴いたことがある、と応えそうな、ポピラリティーのある曲が並ぶ。
Beethovenのソナタ、や Ravel のソナタが並んだ2016年と、かなり趣向の違った打ち出しである。 切符は完売し、
会場に空席はない。 まずは順当な滑り出し・・と思って聴いていたのだが、段々、二人の術中にこちらが囲い込まれて行く
という気分になって来る。 サン・サーンス のハバネラ の切れのいいリズム。二人が本当に楽しそう。 あぁ、と、初めて
上田晴子とブルーノ・パスキエ(Vla)の圧倒的なDuoを聴いた、20数年前の至福を思い出していた。二人は舞台の上で、無心に
“遊んで”いるかのようだった。二人にだけ見えるボールを投げかけては、キヤッと叫んで受け止めているかのように。「こんな球、どぉお?」「おやおや、そんな風に来るのかい」「ほら、こっちからこういうのもいいでしょ?」
そうかぁ・・合奏ってのは、こんなに楽しく心弾むものなんだなぁ。決して一人では出来ない、音楽の愉しみ。初めてであった頃から考えると、上田さんの音楽は、どんどん進化している。毎回、音楽会の度に何かが新しいのだ。
今回は、(元々そうだったのだけれども)本当にこの人の音は美しい、と心の底からため息をついてしまった。
私は常々、一緒に勉強に来てくれる若い人に云い、云いしている。「音楽の持つ美質の中で、最も尊いのは音色と、歌い振りだ」と。
上田晴子という音楽家を追っかけて、およそ20数年が経った。この人の、この2つの角度からの魅力は本当に進化を止めない。
他にも様々な魅力を振り撒いて、われわれファンを魅了してくれる人なのだが、今回、殊にこの2点に酔い痴れさせてもらった。
シマノフスキーの「夜想曲とタランテラ」が始った途端、ピアノの低音の響きは、あれは、一体・・・全身を耳にして、その
「甘露」を味わい尽くそうと彼女の音の世界へ一緒に降りて行く。「演奏を聴く」「音楽を共有する」というのは、こんなに
素敵な事だったんだ、と。
小林美恵さんの進化振りにも舌を巻いた。 元々、絶妙に”うまい人”なんだが、今回はその音の美しさに加えて「うたう」ことの
深さと快感に酔った。「作品を隈なく歌い尽す」という言葉が、聴きながら心に浮かんだ。
ファンの幸せ、を深く思い出させてもらった午後でした。
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どういうことかというと。ある日、PCを開くと「あなたの許で和声法を学び、以って自分の弾いている曲を自力で分析したい」
という、嬉しい希望が述べられいる。
私は本当に嬉しくなってしまうのです。これが、私が40年来望み続けて来たことだからです。
日本の音楽教育に、ひどく欠けていた事。それは「音楽において、技術と論理性は車の両輪だ」ということへの認識の不足です。
西洋音楽発祥の地ギリシャでは、学問のグループ分けのうち、音楽は「数学・哲学・音楽」という仲間に括られていたのだそうです。それなのに、それなのに・・・ 明治時代、怒涛のように流れ込んできた西洋文明。それはまず「軍事」への関心から始まった。
それはそうでしょう。一刻も早く産業を起こして国を豊かにし、軍艦を作って押し寄せるかも知れない外国から、国を守らなければ
ならなかったのですから。
西洋音楽流入史、をよくよく眺めて見ると。どうやら、音楽も一番初めは「軍隊の行進の歩調を合わせる為」とか、「一斉に行動を
取らせるための足並み揃え、又起床ラッパ」と云ったものへの関心から入って居ったようなんです。
しかし、次第に本質的な物への関心が芽生え、当時の秀才はヨーロッパで音楽を学んで帰朝。滝 廉太郎、山田耕作などの先人たち、又ピアノ、ヴァイオリンの奏者たちも続々と「西洋音楽」を学びに出かけました。
しかし、素敵な曲を書ける作曲家が出た割には、演奏部門の基盤を支える「楽器演奏を教える教師たち」に、一貫した理論教育を
与えなくては、と考えた先達は少なかったようです。
1945年、日本は悲惨な敗戦を経験しますが、音楽の面ではこれを境にそれまでとは比べ物にならない質と量で、「音楽教育」は
前進します。多量の楽譜という情報を我が国に伝えた(持ち帰った)桐朋学園の創始者の一人、井口基成氏。明治時代から日本で
唯一の官立音楽学校として、専門家教育を独占してきた「上野の音楽学校」(私の父なぞは"藝大"とは言いませんでした)に対して
桐朋学園が台頭したことは「戦後」の大きな前進でした。
しかし、戦後をリードしたこの二つの学校、又、戦前からあった伝統ある他の私立音楽大学に置いても、ほとんど同じレペルを
脱しなかったのが「音楽理論軽視」だったのです。
楽器会社の驚異的な台頭と、戦争からの復興が一段落した頃の国民の「文化的な物への憧れ」が見事に出会って、急激に勢いを持った「音楽教室」の群れ。そこではピアノが主役だった。そして「とにかく弾けるようにすること」だけが興味の対象だったのです。
でも。西洋音楽はその発生に置いて「思想を語る」ものであり、他の文化圏の人々が何世紀も掛けて構築し、磨き抜いて来た「思想・感情」を理解した上で演奏しなければ、それは「演奏」ではないのです。
私が大学を出て教師として働くようになってから今までの40数年の間に、一番変わったのは、この世界の先端を行く才能あふれる
演奏家が、その音楽表現のレベルの置いて世界のトップクラスに肩を並べ得る域まで進歩した、事が挙げられるでしょう。
これは本当に素晴らしいこと。しかし、私の関心はひたすら「普通の人々」に在るのです。標準的な音楽大学を出て、音楽教室で教えたり、個人で教場を開いて小さいお子さんを指導している人々。この方々こそが日本の音楽教育の最大面積を支えている訳で、彼等、彼女らに「音楽という車の両輪は・・」を心から理解して頂かなくては、私の切望する「聴いて解る・楽しめる・自分の意見を持った演奏」をする人は育たない。
そう思い、折ある毎に雑誌や本、自分の通信、今はHP、と書き、語って来ました。が、「誰も真剣には聴いてくれないや」と
ちょっとすねた気分になったり、いやいや人が聴いてくれないなら、聴きたいと云ってくれる人に出会うまで、かたり続ければいいのさ、と元気になったり。
そうした日々に、不思議やこの年末年始、立て続けに冒頭のように、私の家の「扉」をノックして下さる方が現れまして。
毎年恒例、「年末ジャンボが当たったら・・・」は常のごとく沈黙してしまったけれど、「こいつぁ春から、縁起がいいわぇ~~」
の酉年、となりそうです。
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そもそもの始まりは、私の上田晴子氏への傾倒でありました。
私が彼女に「一目惚れ」ならぬ「一耳惚れ」したのは、もう20年近く前のこと。自分が熱中すると、周囲に言いふらしまくる癖が幸いして、私の周りには沢山の「晴子さん熱病患者」が生まれた。そして「弟子」から更にその友人へ、と麗しい熱病は伝染して行って・・ 滋賀に活動拠点を置く二人の音楽教師がこの「晴子熱」を共通点として、彼女の姫路での講習会に通ううち、「我らの街でも、これが出来ないだろうか」と夢想し始めた。思い密かに姫路へ通い詰めることOO年。ある年、思い余ってポロリと「あのぅ、あのう・・滋賀へもいらして頂く訳には・・」このポロリから駒が出た。「せんせ、そりゃもう、エライ事がでけましてン」と電話を貰った私が驚いた。そりゃあ、まあ、よう発心したこっちゃ、と。 そして1年半の準備期間を経て2016年12月17日の公開レッスンと、18日のコンサートが実現したのです。 本当にこの二人の行動力は素晴らしい。そして「熱きこころ」の周囲には、その熱に突き動かされてくれる「熱きこころ」が。素敵な2日間でした。
まず初日。
? 小5 の少女。バッハのインベンション・2声の2番。理解力に優れ、よく聴こえる耳を持った子で、将来が楽しみ。
? 社会人 楽器屋で音楽教室の講師さん。ヘンデルのシャコンヌ
? 大学2年生 ラベルの「鏡」から“蛾”
? 大学4年生 リストの「バラード」
? 社会人 勉学中の人。シューマンのソナタ g moll
? 社会人 公立中学の先生。 Vnとの合奏。
ベートーヴェン・Vn Sonata No.8.1楽章
たっぷり、上田さんのレッスンを見せて貰って満足。さて、まだ明日がある! 何という贅沢だろう、と深く幸せな眠りを眠る。
12月18日 上田晴子の独奏を聴くという幸運。彼女はソロも素晴らしいのを私は知っているが、殆どの人は
彼女の室内楽しか聴いたことがないと思う。
・Brahms: 3つのインテルメッツォ Op.117
・Debussy: 「映像」から
葉末を渡る鐘の音〜〜そして月は廃寺に落ちる〜〜金色の魚
2曲とも名演であったが、やはりDebussyの、あの繊細な音の色と、それぞれの性格を描き分ける「筆力」がすごい。
休憩を鋏んでVnは「黒川 侑」。現在パリ在住の気鋭の若手であります。
上田さんの秘蔵っ子とも言うべき若者は、それは気持ちよさそうに、師匠のピアノとの自由闊達な“戯れ”を楽しんだ。更にサラサーテの「カルメン幻想曲」では、満開のテクニックを我々は満喫し、ラベルの「ツィガ―ヌ」は、見事な2人3脚、華やかに弾き切ったのでした。
見ていて、聴いていて、何とも爽快。演奏する、というのはこれ程楽しい事なのか、と思わせてくれる。聴いている方が燃えたって来、またほい、と地面に返されるようなスリルがあるのだ。素晴らしい若者とベテランとの競演に聴衆一同心から酔い知れた午後でありました。
滋賀県栗東。京都からも少し離れたこの土地で、これ程までの音楽体験を提供して貰えたことを、本当に感謝しました。
仕掛け人二人、「意気に感じて」共に担い合ってくれたプロデューサー一人。そして、その周囲を固めた「助っ人たち」。
上田晴子さんから漏れた「本当に気持ちのいい方々に支えて頂いて、嬉しかったわ」の一言が、わが愛する軍団への最高の返礼であったと思います
奇しくも、この日12月18日は、私メのンンン回目の誕生日でもありました。
こんな素晴らしいプレゼントを頂けた誕生日は初めて。
有難う、皆々様!!!!!!!!!!!!!
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Violin: 對馬佳祐(けいすけ) Piano: ジャン・ミッシェル・キム
共にまだ27歳。パリ国立高等音楽院大学院コースを終えたばかり。
この音楽会の4日前、8/29に本選が行われた「国際ルーマニアコンクール」で
他のすべてを抑えてグランプリを獲得したデュオです。
そもそもの発端は、我が敬愛する名ピアニスト・上田晴子さん(パリ国立高等音楽院
室内楽科+ピアノ科准教授)からの1本のメールでした。
「非常に優秀な二人の弟子が、日本で演奏会を致します。聴いてやって下さい。
忙しいあなたに足を運ばせても、決して後悔はさせませんから」というのです。
最後の1行がすごいでしょ? あの、桁外れの音楽家に、こういう啖呵を切って貰える
お弟子さん、幸せだなぁ~~とまず嬉しくなり、私もあちこち宣伝。
加えて個人的な出会いもありました。ピアニストの自宅が、わが家から徒歩7~8分
というご縁。チラシの追加を手ずから持って来てくれた彼に、「ちょっと弾いて」と
厚かましいお願い。これがいいんだぁ! すっかり応援団になって、切符売りにも熱が
入りました。「彼等は全部暗譜なのよ。あのエネスコまでも。」との合奏の師匠で
ある上田さんの言葉通り、ちょっと傍聴させてもらった練習でも、楽譜は一切使わない。
合せの練習って、我々だと、楽譜に書き込みがいっぱい出来て、必死に楽譜もにらみ、
相手もにらみ・・・になるものなのですが。
そして、当日。音楽の友ホールは追加の椅子が運び込まれる盛況。
演奏がすごかったんです。本当にガッキと組んだ二人の音楽が会場の空間を満たして。
* L.V.Beethoven Violin Sonata 「春」
* J.Brahms Violin Sonata 第2番 Op.100
* M.Ravel Sonata Pour Violin et Piano
* G.Enesco Violin Sonata 第3番 Op.25
どれも熱演でしたが、殊に殊にエネスコがすごかった!! 誘った友人の評も一致して
そうでした。将に「火を吹くドラゴンのようだ」と思いながら聴いていました。
ラベルもよかったしねぇ。 帰り道、彼らの師匠・上田晴子さんとご一緒に電車で帰る
という幸運に恵まれて。「ラベルとエネスコはつい最近、卒業試験で弾いてますから、
特にみっちり取組めていますね」と伺いました。
いやぁ、演奏を聴いていない人に「よかった・すごかった」と言っても伝わらない、という
のも本当でしょうが、是非とも次の演奏会に足を運んで頂きたいのです。
對馬さん、ジャン・ミシェルさんのFace Book で日程は探せます。
私が聞いているのは、2016.12.21. と 2017.2.2. 詳しいことはご本人へ。
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祥子さんのお誘いを受けて、金沢で行われる「飄逸の本願寺上人・大谷句佛」の講演を聴く為でした。語り手は哲学者・宗教学者、
山折哲雄氏。大谷句佛上人は、祥子裏方のご主人、大谷暢順氏のおじい様に当たる方です。 東本願寺を率いる宗教者であった一方で、生涯に2万句の俳句を遺した俳人であり、我が恩師・池内友次郎の実父、高濱虚子の愛弟子でもあられた。
句佛師のことは、その魅力的な俳画のお軸を通して以前から存じ上げていて、興味は持っていたのです。
しかし本願寺お上人の、そうした「趣味人」の一面に深く触れるチャンスもなく打ち過ぎていました。
私の師匠・池内友次郎は、高濱虚子の次男としてお生まれになりましたが「自分は新しい世界で」と若くしてパリに学び、日本に
初めてフランス風儀の音楽理論を伝えた人です。
彼自身、相当なレベルの俳人でした。
そんな師匠に、音楽上しごかれまくった青春でしたが、レッスンの合間の「問わず語り」にしばしば父上が登場したお蔭で、
私は一度もお会いしたことのない俳句界の巨星・高濱虚子を何だか親しい方のように思い描いてしまうのです。
友人に「ハイキングに行かない?」(俳句ing・だった!!)と騙されて始めた私の俳句歴も25年を越え、ますます俳句の
重みも、楽しさも解って来た所。
そしてたまたま、月例の京都・大阪・博多への仕事旅にくっつけられる日程であったことも幸いして、出掛けることにしたのでした。
金沢は、オニのように働いていた現役時代、仕事を頼まれると実に行き難い街でした。汽車の便はよくないし、飛行場からも
遠い。行ってみれば大変魅力的な街なのに、さっと行こう、と思えない街だったのです。しかし、新幹線の威力というのは
スゴイ。東京からたったの2時間半!! 驚きましたねぇ。とても近くなった気がします。
講演は素晴らしく面白くて、ノート5ページが埋まる内容の濃い2時間。エラい学者さんの話は、大方つまらない、解り難い
もの、という気持ちはあったのですが、山折氏はまったく違いました。とても内容が濃く、しかも解り易いのです。
大満足で懇親会に臨みました。いろいろな方とお話をし、藝大の後輩にあたり、筝曲演奏家でもあられる祥子裏方のお弟子さん
(当日、合奏した)が、私の同志社で教えた学生の従妹である事が解ったり、「世間は狭いわねぇ」で盛上がって。
誠に充実の一日でした。
さて、翌日。かねて行ってみたいと念願していた、真宗・北陸の拠点「吉崎御坊」を訪ねました。ここは本願寺八世・蓮如
上人が、京都での諸事情からこの地へ来て伝道に務めた土地。北陸一向宗発祥の地となった所です。記念館の展示、ご説明も
面白く、上人の書を拝見出来たのも眼福でした。
とても交通の便が限られている土地なので、周遊バスを逃しては大変です。時間を気にしながらですが、「北前船記念館」を
見学。 江戸時代の水運の重要さを感じました。
「JR加賀温泉駅」から特急サンダーバードに乗って京都へ。 ここでは、久し振りの同志社時代の元学生や、京都の個人的な
古い弟子と久々の「女子会」!こういうのんびりした時間の何と美しい事。普段は動き回っても、仕事しかしていないのですから。
わずか2日間でしたが、とてもいい「命の洗濯」になりました。 歴史の教科書で習っていても、その土地を訪ね、その土地の
空気を吸って見る、考えることがとても大事なんだ、と改めて思いました。 2016.8.5. 記
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1週間という短い旅だけれど、生まれて初めての海外旅行は、最近の
我が家にちょっとした旋風を巻き起こしています。
私・この家の「おばばさま」は芯から外国旅行が好き。普段の諸々は節約に
相勤めてでも年に1度の海外見物につなげたい、という性格。しかし、まだ
14歳の少年が、区の行事に参加・連れて行って頂くというのは実に有難いこと
だと、一家で感謝。 しからば。必ず出るのが「日本文化紹介プログラム」
でしょう、というのでおばば様は張り切った、ネ。
「一緒に行く子たちを呼んでらっしゃい」ということになって。折から、
もの凄い偶然なんだけど、夫の所へ料理を見習いに来ていた少年が同行グループの
一員である事が分かったのも「一服差し上げたい」の動機づけになりました。
さて、当日。175cmという見上げるような少年を含む、5人の少年少女が我が家に
やって来ました。中学3年の中心となる3人の少年に、「合流組」の中1と高2の
少女が2人。更にその母たちです。 全員、茶道の嗜みはほとんどない。
まずは、友人で英語のプロにチェックを受けた、英文での簡単な「茶道の紹介」を
皆で共有。あちらへ行って、何か聞かれた場合に備える。
そして、私の点前で薄茶を頂きました。 お茶の点前というのは、実演中に話を
するのはご法度。何故なら、人様に差し上げるお茶を点てているのですから、お茶に
何かが飛び込んでは大変ですから。 しかしながら今回は仕方がないので、横を向き
向き、「今、茶筅湯治と言って・・」と、動作の説明を加える。物の名前の解説と。
お茶の頂き方だけでも覚えて置いて欲しい、という日本における日常の願いと、外国で
「日本のこと」について聞かれたら・・の備えと。欲張った企画ですからこっちは忙しい。
でも、出掛けて行く少年3人は、実に吸収がよく、的確な質問をして来るし、おばば様は
大変嬉しく「ご機嫌サン」でありました。合流組少女二人も素敵で、美しくお茶を喫して
くれました。
当今、茶の湯の世界も高齢化が激しい。元々、どちらかと言うと年配者が幅を利かせる
世界でありますが、私が若かった頃は(1960年代)「結婚前の娘の必須教養・その1」
であったのですがねぇ。各千家の家元でも危機感は持っておられるようで、様々、若者に
茶道を振り返ってもらおう、という試みはなされているようです。
が、なかなか一朝一夕には積み上がって行かないもののようです。私は実母が大変熱心に
励んでいたので、いつの間にか稽古をし、学生時代には強烈なスケジュールを縫って母の
師匠の許へ稽古に通った時期もありました。好きだったんだと思います。魅力はよく解って
いたのでしょう。
それにしても若者はいいですねぇ。爽やかです。まったく初めて茶席に座るのですから、
物慣れないのは当たり前。しかし、熱心に見習おうとしてくれるのが爽やかなのです。
少女たちも素敵でした。こういう若い世代と、お茶を稽古したいなぁ、としみじみ
思いました。
お稽古の後は賑やかに食事。夫の出番です。この日のカレー・ライスは特段に美味しかった!
皆の華やいだ気持ちが、夫の鍋にも乗り移ったのでしょうか。
少年たちの健康な食欲がまぶしかった。こういうことも見ている我らを元気づけてくれます。
又、こういう会をしましょうね、と笑顔で散会。お茶を嗜んでいてよかったなぁ、と強く
思った夕べでした。
7月が終わる頃、彼らはどんな体験を土産に帰ってくるのかしら。その土産話がすごく
楽しみです。
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わが敬愛する室内楽ピアニスト、上田晴子さんの演奏会です。今回のお相手は、互いを熟知している素敵なヴァイオリン・
小林美恵さん。
プログラムは「ドヴォルザーク: 4つのロマンティックな小品 Op.75」からです。
軽やかに、匂やかに、二人は本当に楽しく遊んでいるような塩梅。自在な音楽の関わり合いが素敵です。
ベートーヴェン: ヴァイオリンソナタ 第10番 Op.96
これは圧巻でした。 言葉でいろいろ書くことは難しいけれど、つい近日、上田さんにこの曲をレッスンして頂いた、という
若きピアニストが、休憩時間のロビーで私を見つけて「2楽章を弾き出された時、アレ?こんな風に弾けるんだ!こんな姿をした
曲だったんだ、って思ってしまって。涙が出そうでした」と言った言葉が、一番的確に、その日の演奏を語ってくれるでしょう。
気負う訳でもなく、さりとて流す訳ではなく。本当に互いを聴きあい、見つめ合ってするアンサンブルとは、こういうものなのね、
と。
ラベル: ヴァイオリン・ソナタ 「遺作」
有名な、よく演奏される3楽章のソナタより、30年も前に書かれた、1楽章のソナタ。 ラベルらしく、緻密に書き込まれた
作品が、二人の名手によって解きほぐされ、二人して楽しみつつ、聴衆を一緒に音楽の歓びの中へ誘いこんでくれる。
「聴く幸せ」とは、こういうものか、と思わせてくれる時間だった。
フォーレ: ヴァイオリン・ソナタ 第2番 e moll Op.108
この曲でもしかり。上田さんの音の色の豊かさ、リズムの自在! いつも相手の出方次第で「打てば響く」反応を用意
している、彼女の懐の深さが、小林さんの造形力と響きあって、本当に素晴らしい演奏だった。美恵さんの音の流麗さと
芯の強さ。相反するようでいて彼女に於いてはしっかりと、豊かに結びついているこの特質がまばゆかった。
こういう音楽会が聴ける、というのはなんという幸せだろうか。本当に感謝の気持ちでいっぱいになって、会場を後にした。
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2015.8月。随分前から行ってみたかった「草津音楽祭」を聴いて来ました。
きっかけは、博多で私の「和声法クラス」に参加している子が、フルートで受講する。その為に「受講曲の分析を見て下さい」と言って来たことでした。どおお? 皆さん。この私の「自慢の弟子」って素敵でしょ?
「だって、こんな素晴らしい音楽家に見て頂けるんですもの、曲をきっちり解ってからでないと、とても吹けないんですもの」と云ったのです。すっかり嬉しくなった私、彼女と一緒に一生懸命勉強しました。とても楽しい時間でしたよ。
そして、草津へ。この音楽祭では、参加・出講している音楽家が毎晩音楽会をします。私も着いた日を含めて3晩聞かせて貰った。そして、「わぉ!キャッ!」と思った音楽家のレッスンに潜りこんだんです。普通は入れてもらえないらしいんですが、主催者側にちょっと知り合いがいたものですから。
フルートの先生はカール=ハインツ シュッツ氏 という、ウィーンフィルのトップ・フルーティスト。まだ30代終り頃かと思われる若さですが、本当にいい演奏家で、私のこの楽器に対する認識を塗り替えてくれました。「フルート、ってこんな音のする楽器だったんだ」って。
又、そのレッスンが素晴らしい。毎朝、個人レッスンに入る前1時間「ウォーミング・アップ レッスン」と称して基礎の基礎、スケールを吹かせる。これがいいんですよ! 私のようにまるでこの楽器を吹けない人間が聴いていても「なるほど、そういう風にさらうのか」と思い、時々「君、そこ吹いて」と指名される受講生の小さな進歩が理解できるのです。そして、音楽的に絶対に譲ってはいけない所、基礎技術の「揺るがせにしてはいけない部分」を若い人に叩き込もうとしている。見ていて小気味がよかった。
後に。参加していた旧知のヴィオラ奏者、ジークフリート・フゥーリンガー氏と共に東京の自宅に来て下さって、一夜、夫の日本料理を楽しんだのですが、誠に人間的魅力にも溢れた方でした。
更に、ピアノのクラス。ここでは、3人の若い人を聴いたのだが、「基礎訓練をもっと積み上げてから、こういう人のレッスンに臨もうよ!」と心の中で叫んでいました。選ぶ曲が大曲過ぎるのです。(我が家への道すがら、フルートのシュツ氏とその話になりましたら、彼も、フューリンガー氏も口を揃えて「それは大きな問題だ」と言っていましたね。)それと、私が毎日自分のスタジオを訪ねてくる生徒に言い続けていることを言いたくなったの。
「ねぇあなた、ピアノの前に座る前にもっと楽譜と向き合って!」って。「楽譜」には、作曲家からのメッセージが詰まっているのですよ。
例えてみれば、これから舞台に上がろうとする役者が、その劇の筋立ても、自分がそこで演じる役柄も全く知らないで、(音符という)セリフだけを棒読みにしゃべっている。そんなことにはなりたくないでしょう?
楽器の無い場所で、「じっくり楽譜を読む」という習慣をつけて欲しいのです。
それに必要な道具が「和声法」! この曲の構成は? 転調はどこで起こり、それはどんな波乱を音楽に起こしているのか。この調、このフシ、この音型は何を言おうとしているのか。まずは落ち着いて考えてみて!と思いました。
先生たちのご注意、提案、アドヴァイスを受け止めるには、唯「さらう」、「指が廻るようにする」だけでは十分ではないのです。
「曲の内容をつかむ」準備をまず先に。 それから指の面倒を見て欲しい。
来年は、もっと時間を取ってじっくりと参加したいと思っています。
そして、来年の参加を考えている若い人に提案。「受講準備会」をしましょうよ。ほんのちょっとの努力、「音楽を読み解く」準備を整えてから出かけて行ったら、そうでないより何倍ものプレゼントを講師の方々から頂いて帰れると
思うからです。
もう間もなく2016年が参ります。動き始めましょう!!
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2015.6.19.にカンタベリーからロンドンへ移動。この国の電車の料金システムは、実に煩雑!乗り方でひどく値段が違うのです。カンタベリーに滞在中の友人のガイドがあればこそ、何とか値段と時間の釣り合いを取り、不慣れな我々でもこなせる時間帯などを見つけられたけれど、唯の旅行者であったらとてもとても・・・
このイギリス式合理主義は凄いと思うけど、やっぱり日本式ゆるやかさが懐かしい。友人曰く、「物事の枠組み、システムを作ることにかけては世界一、の民族がイギリス人です」と。このやり方に適合するのに必須なのは、PCと決してあきらめない熱意。住んでいれば、自然に慣れて行くのでしょうがね。
我らのロンドンでの宿は、これもこの友人の紹介で知った「日本人が経営する一戸建ての宿」。東京で言うと、山手線のターミナルから15〜6分私鉄に乗った所という駅から徒歩4分。閑静な住宅街の素敵な住宅でした。部屋はゆったりとしたスペースと、長期滞在者には嬉しいであろう、たっぷりの収納付。
階下にはとても広いキッチン+ダイニングと、日本語の本がぎっしり詰まった書棚のあるリビング。これじぁ住みたくなってしまう。ロンドンでゆっくり過ごしたい方には、とってもお勧め、の宿でした。お値段も、この状況にしてはリズナブルですし。
さて、朝食の買物と思って駅の反対側が賑やかそうなので歩いてみると。ポーランド食品屋さんの多い事。東欧出身者が多いのは、歩いている人の顔立ちからも解る。
又、あちらこちらに「ハラル・ミート」の看板。後で同宿の人に教えてもらったのですが、これはイスラム教の定めに従って屠殺された肉、イスラム教徒が食べてもいい肉ですよ、という意味なんですって。つまり、イスラム教徒が多く住む地区だったのです。異国情緒満点!
スーバーに入ってもキョロロキョロしっ放しの私です。我らの宿へ行く出口方向は、まったく白人しか歩き進んで行かないのに。すぐ近くなのに、ブロックで、はっきり住む人の雰囲気が違う、というのが我らにはとても珍しかった。
今まで20回近いヨーロッパほっつき歩きを経験して来ましたが、いつも10人近い人数で、主として音楽の講習と夫の料理をするのを目的とした旅でした。今回は初めての二人旅であることから、パリでもロンドンでもこうして自分で料理が出来る、食の自由度の高い宿を使った。という事は、スーパーでも土地の人の食生活にぐっと近づくことが出来た訳で、これが私にはとても面白かったのです。このロンドンの宿では、最後の2日間、同宿の方々との「さよなら日本食パーティー」を夫が提供。盛り上がりましたねぇ。 近況報告をしたカンタベリー在住の友人からは、「折角、倖三さんと四日も暮らしたのに、ここの台所を借りる交渉をするんだったなぁ。彼の料理を食べられたなんて、ロンドンの見知らぬ同宿者がしみじみ羨ましい」とのメールが帰って来ました。
ホント、あんなにお世話になりまくったのに、夫の料理、という何よりのお返しをして差し上げられなくて、申し訳ありませんでした!!
さて、ロンドンでは。まず第一の用事は現在私が深く関わっている「英国王立音楽検定」の本部を訪ねる事です。出発の直前に日本での検定が有りまして、ロンドンから来た検定員の通訳を務めた。その彼女が書いてくれた地図を頼りに中心街にある本部を訪ねました。BBC本社の目の前にあるそれは、なかなかセキュリティーの厳しいビルで。約束してあった日本との折衝担当の青年は、愛想よく我ら夫婦を迎えてくれました。小1時間の「表敬訪問」を終え、この検定のテキストの展示・販売状況を見ようと、「ロンドン・ヤマハ」へ。
何だか懐かしいような気分です。東南アジア・ヤマハの最大拠点であったシンガポールのオフィスで、5年間、毎年3週間の強化合宿訓練を担当した頃を思い出しました。しかし、ヨーロッパ、殊にイギリスでの日本製ピアノの販売と言うのは、想像していたよりもはっきりと「高級品扱」なんです。ヤマハは。
へぇぇ〜、という感じ。日本よりずっと高い値段で売られている!40年以上前、英連邦の一員・カナダでの情景を思い出しました。当時のトロントでは、ヤマハピアノなんてとても買えない値段でしたよ。「運賃払って持って行って、思いっきり弾いてから、売っていらっしゃい」と勧めてくれた友人の言葉に眼をまん丸くして、(素人が使い古しのピアノを売ってくる?そんなの無理だわ)と思って持たずに出かけた20代の私。本当に後悔しましたもの。まぁ、これは昔話ですが。
この帰りに入ったヨルダン料理の店、というのが意外に美味しかったんです。世界には実にいろいろな料理があるものなんですナ。
直ぐ近くに「Sushi shop」(持ち帰り専門)があったので覗いてみると。日本人に見えた店員は韓国の人で、値段は手軽なテイクアウトの店にしては「う〜ん・・」といった感じの強気値付け。ここでも「日本食は高級」ムードの名残が感じられました。うまい商売をしています!
さて、6月21日、ロンドンの“Barbican Hall”でロンドン・シンフォニーの「第九」を聴きました。現今のネットの威力は素晴らしく、日本の自分のPCからさっさとこの日の切符を買うことが出来るのです。
地下鉄を降りて、Baebican Centerを目指します。ちょっとウロウロして、でも行き着いた。外国の音楽ホールへ出かけて行く楽しみの一つは。女にとってその国、その街の女たちのコンサートファッションを見ること、というのもあるのです。オペラハウスだとそれは一層際立ちますが、ロンドンのオーケストラは、思ったよりも「平常心」でしたね。勿論、とっても素敵におシャレを楽しんでおられる女性もありますが、比較的日常のいでたち、という感じでした。
さて、肝心の演奏の中身は。指揮:ベルナルド・ハイティク。
1929年生まれ、今年86歳になるこの巨匠の棒で、手勢であったロンドンフィルで「第九」を聴く!しかも所はロンドンで。と来れば、一般的に言って音楽好きなら多大の期待を抱くカードです。しかし、残念ながら、この長大な曲を振り切るのは、巨匠の体力には少しばかり過重であったようにお見受けした。途中で、何だか音楽に勢いがなくなるのです。これは残念でしたね。更に。合唱団のアンサンブルが、もう一つなんですよ。第九の成否を握っているとも言える合唱の迫力に疑義があっては困ります。4人のソロ歌手と云えば。それぞれは力量もあるのでしょうが、4人が謳い合い最高潮を盛り上げるシーンでのアンサンブルに多きに問題が。相手を聴いてるのかいな、と言いたくなるように、自分の声ばかりに専念しているようで。ちょっと頂けなかったのです。
ウ〜ム・・・少し寒い気持ちで会場を後にしました。
旅も終わりに近く、ちょっと寂しい経験でした。
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さあ着替えをして、東京で買っておいた「マリオ・ジョアン・ピリス」の演奏会に飛び出します。この会場で、ドイツはフランクフルトから私に会いに飛んで来てくれる弟子と合流しょうという、なかなかスリリングな計画。“Theatre de la Ville”という古い会場。有難いことに無事彼女は隣の席に座って待っていてくれました。この何とも古色蒼然という会場でピリスを聴く、と言うのも私が経験してみたかったことなのです。 というのも。パリには相当回来ているのですが、毎回「日本では見られないものを」と言うのでオペラとバレエばかりを追っかけていて、室内楽をじっくり聴くチャンスを作らなかった自分に気づいたからでした。
今日のピリスは、ジュリアン・リベール(Julien Libeer)という若い弟子との4手連弾を織り交ぜてのプログラム。この若者を世に出してやろうというのが眼目のようです。
まずは二人の F.Schubert:Fantaisie pour piano a 4 mains (f mineur) Op.103,D 940
この出だしのメロディーがピリスの手から紡ぎ出された途端、「あ〜、この音、この節を聴くだけでも、今日ここに来られてよかった」と思いましたね。何とも言えない音色なんです。曲全体もとても素敵。若者も頑張ってました。
次はジュリアン君のソロでRavel: Le Tombeau de Couperin. (クープランの墓)
これはどうも納得できなかった。ん〜、この曲、こういう曲だったっけ?っていう感じ。そして最後がピリスのソロでSchubert: Piano Sonata 変ロ長調, D 960.
まったく至福のひと時、でありました。
夫・倖三、私、彼女。三人三様の感想を胸に、とても満ち足りて帰って来たのでした。2年前にご主人の転勤で渡独した彼女は、とてもいいピアノを弾く人で、ヨーロッパでの生活をエンジョイしている様子でしたが、パリで室内楽を聴く経験を喜んでくれました。
6月8日
夫が前夜から発熱。疲れもあって風邪をひいたらしい。可哀想だが薬を飲ませて一人でお留守番してもらう。私は諸々予定した用事がありましてネ。切符の取り直しやら、東京の友人に聞いた素敵な図書館を訪ねるやら・・
そしてそのまま音楽会へ。場所は都心からは少し離れる「パリ国立高等音楽院」の構内にあるホールです。私が毎年ペリグーの講習に通う道すがら、ジャン・ジャック・カントロフやミッシェル・アリニョンのレッスンを聴かせて頂きに通った懐かしい場所。6年来なかった間に、この構内に素敵なコンサートホールが二つ出来ていたのです。
この場所を見ることも今回の楽しみの一つでした。ここで私は一つミスをした!開演時間を1時間早く思っていたのでした。翌々日・6/10に行く予定の会と勘違い。で、着いてみれば「あと1時間半あります」という状態で。まぁ、近くのカフェで時間をつぶしてもいいのですが、これもチャンス、と公園にもなっているこの辺りを散歩。こういう「パリでひとり」という時間は素晴らしい。ものすごく解放感があります。(なにナニ?普段は解放されていないのか、って?フフフ) 折から抜けるような青空でしてね。ジュン・ブライド(6月の花嫁)という言葉がありますが、梅雨のないヨーロッパでは6月は最高に気持ちの良いシーズンなのです。人影もまばらな大ホールの広い前庭に座って眺めた青空が忘れられない。
そうこうする内、室内楽ホールも開場。しかしまぁ、なんという世の中の進歩でしょう。当節の音楽会には「入場券」というものが無くてもいいのです。日本からネット予約し、プリントアウトした予約券にあるQRコードを、おニイさんがチャっと読み取っておしまい。まあ、便利というか味気ないというか。6/8のピリスの時は、受付で本来の入場券に取り換えてくれたのですが。昔はこの「入場券」に意匠が凝らしてありまして、思い出にとせっせとファイルしていたものでしたが。
さて、本日の会は。とても面白い企画なんです。演奏はミュンヘン室内合唱団と室内官憲楽団。指揮はアレクザンダー・リーブライヒ(A.Liebreich)
Pascal Dusapin
(1955〜)という気鋭の作曲家(ナンシー出身。美術・科学・芸術学・美学をソルボンヌ大学で学ぶ。フランコ・ドナトーニの指導で1970年代中葉よりヤニス・クセナキスの講習会に出席した。この時期に「線的」な作曲技法を極めた。
1981年から1983年までローマに留学。1993年から1994年までリヨン国立管弦楽団のコンポーザー・イン・レジデンスに選任される。1979年にエルヴェ・デュガルダン賞を、1993年に芸術アカデミー賞、1994年にSACEM賞交響楽部門等を受賞。東京音楽大学の招きでマスタークラスを開催してもいる。
コレージュ・ドゥ・フランスの開講講義を行った音楽家の2人のうちの1人であり、トロンボーンとオーケストラのための協奏曲「Watt」でUNESCO大賞を受賞した。)
「Disputatio」という作品。これがとてもとても面白かった。演奏がいい!合唱というのは何と凄い音楽素材なんだろう、と思いましたよ。 合唱が「〜〜」とたたきつけるように歌う。残念ながらドイツ語の歌詞は全く解らない。が舞台の壁面にフランス語のキャプションが写し出される。私のフランス語でもあらかたの見当はつく、宗教的な内容なのです。「死とはなにか!」「神とは何か!」なんて具合で。オーケストラとのバランスもよく、これはヨーロッパでも一級品だな、と。
更に、この「超現代」の作品と、フランスではもはや古典であるMaurice Durufleの"Requiem"を対峙させてという企画。すごいことをやるなぁ、とという実感。おまけにこのMaurice Durufleの"Requiem" は、若き日の私にとって大変思い出深い作品でして。何とかお終いまで聴きたかったのだが、50分ほどの地下鉄と、23:00を過ぎた凱旋門からの暗い道を考えると、散々迷った挙句、安全を選んで"Requiem"を諦めたのでした。倖三クンの風邪が恨めしい。夫付ならメトロも道も何の問題もなかったのですが!
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ミラノ万博の見物を終えた我々は、1日だけ残ったイタリアの休日を使って楽器の街「クレモナ」へ出かけました。ミラノから列車で
1時間ほどの日帰り圏。音楽好きな方なら誰でも耳覚えしている街、クレモナ。そこはストラディバリウス、アマティ、ガルネリなど弦楽器を弾く人すべてにとって魂を天上へと誘う楽器を作り出した人々が住み、活躍した街なのです。
弦楽器は聴くだけ、の私だってこういうチャンスを逃すテはない、という訳です。倖三クンは何が何だか解らないんだけれど、「行きたくない」なんぞと言おうものなら・・という事で、同行します。
6月5日、この日も北イタリアは快晴でした。何たって、旅で有難いのは天気がいいこと。「お天気屋」という言葉がありますが、特に旅に出た時の幸・不幸は天気に左右されますナ。この日も朝から抜けるような青空が広がり、旅人を幸せにしてくれました。
汽車の旅は楽しいです。広がる山野と麦畑。俳句に「麦秋」という季語があります。日本では初夏、麦がたっぷりと熟れて、刈取りを待つのみ、という時期のことです。将にこの季語を満々と思い出させてくれる風景。俳句をひねったり、何が見えたの、何が咲いているだのとたわいもないことを言っているうちにクレモナに到着。
町の中心は駅から10分程歩いた所らしい。歩いていると、高校生かな、という年頃の若者がどっと吐き出されてくる。どうやら昼休みの時間のようです。
「家へ帰ってお昼を食べるのかしら」「う〜ん、そういう話は聞いたことがあるけれど、お母さんたち、大変だよなぁ」なんてこちらの会話が相手方に通じないのは、実に気楽です。それにしても坊やも娘たちも美しいねぇ。どこの国でだって、若者は美しいのですが、目の当たりにするとますます感嘆してしまいます。若さが眩しい、と言うことは、自分らが若くなくなったということ。ハイハイ、そうですわね。
中央に着くと、楽器博物館を探します。稀代の名器が集まっているというのですから、期待が高まります。なかなか近代的な建物でした。英語の説明も丁寧で、楽しめる。「宝石箱」と名付けられた一室には、ヴァイオリンを弾く人たちには、よだれがタラタラであろうと思われる、選り抜きの楽器が並んでいます。へえぇ〜〜、の連発で通り抜けまして。
出会ったのが大きな玉ねぎのような形の不思議なお部屋。入口には扉もなく、中は薄暗い。何だかとってもいいヴァイオリンの音が聞こえて来るので入ってみました。ベンチに座って天井を見ると。DVDが流れています。一組のヴァイオリンとピアノの奏者が「今、弾いている楽器はOO年製ストラディバリウス誰それの作品」とか「こちらはアマティ・・・」といった具合に、聴き比べが出来るのです。
これはよかったですねぇ。将に陶然として聴き惚れてしまいました。
街をぶらついていると、楽器を抱えたお嬢さんが吸い込まれて行く家から弦楽器の、いい音がする。つい、覗いてしまったらこれが楽器作りの工房でした。彼女は魂柱(ヴァイオリンの中に立ててある柱)の具合が悪いので調整して貰いに来たのだとか。イタリア語は全く分からない私たちですが、お互いにあまりうまくない英語で何とか様子が解りまして。何だかこの街へ来た甲斐が あったような気分になりましたよ。
翌日は朝からバスで空港へ行き、パリへ飛びます。欧州内は一回だけの飛行機の旅。今回の旅の移動は、友人の車でだったり、1日がかりでブルゴーニュからイギリス・カンタベリーまで走ったりと、列車の旅が多いのですが。
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2015.6月2日に成田を出て、24日に帰り着くまで、3週間と2日のふたり旅。これは私にとってとても珍しい試みでした。
今まで随分国外に出かけたのですが、まったくの仕事旅だったり、
少しは遊びを付け加えたけれども、主眼は何人かの生徒を引き連れて講習に参加することだったからです。 前にもこのブログに書きましたけれども、フランス・ペリグーでの講習は、本当に素晴らしい内容で、忘れられない思い出です。
しかし、これがなかなか疲れるのですよ。引き連れる人数が多くなるとね。私共もそう若くはない年齢になりました。そこで、今回は初めての夫婦ふたり旅と相成った。
きっかけは、親しい友人がイギリスはカンタベリーの大学へ1年の予定で勉強に行く、という。夫が「俺、イギリスって行ったことないよな。この際、行ってみるか」と言い出したことでした。
そこへ、まったく別途に夫に料理の依頼が参りまして・・ミラノ万博に「日本の食卓・日本の食器」というテーマで、プレゼンテーションをしに行く友人から、「持って行き切れない食器は写真にするんだけど、それに料理を盛って下さらない?」というお話。
これがなかなか骨の折れる仕事でしたが、彼、何とか頑張りました。
「倖三さんも一緒に行かなぁ~い?」 というので、イギリス訪問とミラノ万博、二つも理由があれば、こりゃぁ行かずばなるまいよ、と。
二つの国の間には、パリがあるじゃないか。旧友もいることだし、と
三都物語へ。もう、これが最後かも知れないふたり旅、ゆっくり行こうよ、でこんな長旅になりました。
珍道中の「ことの顛末」、どうぞ聞いてやって下さいまし。
「行って来ました! ミラノ万博」
2015.6月3日。ミラノは快晴でとても暑かった。中央駅のすぐ傍に宿を取った私たち。地下鉄で万博会場までおよそ30分です。駅を出て、大勢が歩く方向へついてゆくと入場券をチェックする場所があり、ネット予約でしかない私共は「あそこのコーナーで入場券と取り換えてきて下さい」と言われる。ハイハイ、と列に並ぶ。が、開場時間になっているというのに、ずらり並んだPCの前には人影がない。あぁ、イタリア! 時間厳守じゃないのね。
待つ。やっと番が来た。若い、いかにも「研修中」といった感じの
青年が担当。私の差し出す予約票を睨んで真剣な顔で,キーを叩いていたが「マダム、あなたの予約が確認できないのです」「そんな筈はないでしょう!!!私はちゃんとネットで予約し、クレジットカードで決済もすましてある。そこにその受け取りもあるじゃないの!!」きっとこめかみには、青筋も立っていたんじゃないかしら。私の剣幕に驚いて、脇からベテランが加勢に入り「申し訳ないのですが予約が確認出来ないのです」「じゃあ、その理由を教えて下さい。責任はどこにあるのですか? 私が予約を入れて、お金を払ったアリタリア航空のミステイクなの? 私ははるばる日本から今日、間もなく始まる友人のプレゼンテーションを見る為にやってきたのよ!間に合わないじゃないの。どうしてくれるのよ」こういう時はガンガン叫ぶのです。
英語の巧拙なんかにこだわっていてはいけません。喧嘩は勢い・ですから。負けちゃあいけない。
結果。「あなたがお支払いになったことはこの受け取りで証明が出来ているので、今、あなたのクレジットカードにご返金しますから、誠に申し訳ありませんが、もう一度ここでお買い求め頂けませんか」「まぁ、仕方がないわねぇ。で、私が買った値段と同じなの?」「いいえ、こんなご迷惑をかけたのですから、この値段では如何でしょう。ご納得いただけますか」と、きわめて丁重なご挨拶。提示されたのは、正価から見るとかなりな割引率。うむうむ、それなら払いましょう、と。しかし、ね。後でクレジットカードに返金されているかを確認する日までは、喜んじゃいけませんけど。 外国旅行というのは、このテのトラブルは日常茶飯事。こういう小さなケンカを楽しむ位にならないといけません。
さて、やっと入場。荷物検査の長い列に並ぶ間も太陽はじりじりと照り付けます。でも、お客さんは楽しそうで、イライラする様子もなく並んでいる。とにかく、いろんな人がいます。
私はこういうのを見るのが大好き。ツァーで来れば別の入口からサッと入れるのかも知れないけれど。
会場内には中央に大きな通路が通っていて、日本館はほぼどん詰まりに近い、と友人から聞かされていました。歩く。歩く。通路の上は高いテントになっていて、イタリアの太陽から人々を守ってくれます。左右に国旗が立ち並び、国名を確認しながら進む。へぇえ、世界は広いわねぇ。聞いたことはある国名だけど、どこにある国だったっけ。なんて夫と話しながら進みます。それぞれに意匠を凝らして人気を競っています。道の真ん中に、所々展示スペースが設けられていて魚、肉、野菜の飾り物が面白くディスプレーされている。なかなか凝ってますなぁ、と楽しく見物。右に左に現れる食べ物屋台にいちいち引っかかりそうになる倖三のシャツの裾を引っ張り戻しながら前へ前へ! だって、彼が大変な思いをして作り、盛り付けた料理をディスプレーしたプレゼンテーションを見逃しては、元も子もありませんから。
左右のパビリオンからは、選りすぐりの美女たちが「美味しいわよぉ、ちょっと試食してみて下さいな。中に入ってゆっくり召し上がって下さると、もっと楽しいわよぉ」と呼び声しきり。倖三ならずとも、引っ掛りそうになるのですが、お祭りの夜店に連れて来てもらった子供を追い立てるごとく、急ぎます。
やっとたどり着いた「日本館」。入口は二つありまして、本体への入館を待つ長い列と、自由に入れる「イベント広場」へのルートに分かれます。素晴らしい松の大盆栽を中央に眺めながら広場に入ると。日本料理屋さん風な店、カレーを出す屋台などがあり、ステージが設営されている。なかなか立派な演出です。「日本の食卓・日本の食器」という題でのプレゼンテーションは沢山の聴衆を集めて盛会でした。
倖三の料理も、なかなかきれいに撮れていて、われら満足。
3回程のプレゼンテーションの合間に、すぐ隣のロシア館をまず訪問。超大国ロシアですが、今回は「食の万博」ということで、あの広大な国で採れる穀物(現物らしい)を地図のエリアごとに薄い壁のようなショーケースに落とし込ん展示する、という面白い工夫。
地元・イタリア館は元より広大なスペースを占めていて、ビールやらお得意の食べ物を宣伝販売している。別棟のワイン館はものすごい数のワインが並んだショーケースを設営して、試飲を呼び掛けています。開催国だけあって、気合が入ってます。唯、試飲のお値段がちょっと高いのが玉に傷!
万博・というものに初体験の私たち、まったくの“おのぼりさん”状態で何を見ても珍しくキョロキョロし歩いたのですが。ここで感じたことは、「なるほど、万博とは将に国威高揚、国力誇示の場でもあるのよなぁ」ということでした。まずパビリオンのデザインの魅力、規模、運営の力・・・ すべて国の経済力の反映だ、ということでした。
そうした中で、日本館の中身は大変立派なものでした。 「うーむ、やりおるわい」という感じです。映像とディスプレーのエンターテイメント性、内容の充実。着想がシャープだし、言いたいこと・の持って行き方もうまい。制作者たち優秀だわ、と本当に感心しました。お金もしっかりかけてます。これは大事なポイント。かけるべきところには、しっかりお金をかけなくてはいいものは出来ないからです。加えて、コンパニオンたちの真剣な努力には感心しました。
帰国後、読売新聞に大きな記事が出た。曰く、「ミラノ万博で日本館の評判が上々だそうな。“入ってみたいと思うパビリオン”のトップに挙げられ、“ここを見たことにより、訪ねてみたい国”のトップにも挙げられた」と言うのだ。しかも。「そのもてなしにおいて他の追随を許さない。自分のことよりも相手のことを先に考える精神は他には見られない素晴らしい点だ」と。 大阪の俳句仲間の女性が、日本館でコンパニオンとして働いており、その彼女の事前情報の詳しさ、かゆい所に手の届く、現地でのご案内に大感激、大感謝、であった倖三と私は、本当にこの記事が嬉しかった。「やまとなでしこ」は女子サッカーだけではありませんで、万博という世界への発信チャンスの場で、十二分にその力を発揮していたのでした。
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私の「塾」は、なぜか10月が開講なんです。 開始以来二十数年、月曜日に集まって和声法を学び続けています。人は変わり、クラスの様子も移ろっていきましたが、真ん中に座っている、私、土田京子は相変らずです。
さて、今年の新学期は2015.10月6日に始まります。
そう、この日は火曜日です。今期から、曜日変更。第1、第3の火曜日に致します。どちらかが祝日に当たったら、第4火曜にズラします。
そして和声の勉強を継続する傍ら、「音楽史」を再開します。
テキストは 「グラウト・パリスカ著 新・西洋音楽史」
始めて見るとなかなかの難物でした。が、仲間がいてくれることの有難さ、何とか読了。 3回目の時は3巻に7年を費やしました。
しかし、これでは長くかかり過ぎだ、と今回は、ややダイジェスト的に進めて行こうと思っています。
音楽史は、音楽大学においても何だかさーっと通り過ぎてしまい勝ちな科目です。しかし、社会に出て仕事をしてみると、自分が弾いている曲、聴いて面白かった曲が、どういう時代に書かれた、どういう様式の曲だか解らない、では、困るのです。その基盤となるのが音楽史の知識と教養です。
わが塾でも、大変熱心に取り組んでくれたグループが“卒業”してしまって以来、なかなか復活のチャンスがなかったのでした。
今回、たまたま個人レッスに来ている人などから「へぇ〜、音楽史が始まるんなら、私も決心して塾生になろうかな」なんて声が上がり、京子センセ、ちょっぴり気をよくしています。
どうです?この始まりのチャンスに、一緒に音楽の歴史(ということは、ヨーロッパの歴史に触れることにもなりますよ)をひも解いてみませんか?
新しい仲間の登場を待っています!!
どうぞ、「お問い合わせ」からコンタクトして下さい。
私は現在、そういう立場にはありませんが、若い頃は奏楽をしていたこともありました。ですから雰囲気に違和感はなかったのですが、何せオルガンに関する知識のないこと。第1回の講義は、ほんとにチンプンカンプン!何が困るって、ラテン語まじりのイタリア語がバンバン飛び出すんです。講議に。周りは随分長いこと一緒に勉強しておられるらしく、「ふんふん・・」という感じで聴いておられます。 さすがに内心どぎまぎしましたですよ。
音楽史も少しはかじっていたつもりですが、ある範囲のことに分け入ると、又、話が違うってことが身に沁みます
元来、厚かましいというか、何にも出来ない、知らない癖に「面白そう・それ、知りたいわ」と思ったら、どんどこ聞きに行ってしまう、という性格なんですがね。この範囲のことについては、ちょっと自分の無知ぶりに驚いていました。紹介者がこの会を主導しておられる方でしたから、何人かの方が、いろいろと気を遣っては下さるのですが、ちょっと孤独感。
がさて、2回目、3回目と辛抱している内に、そこは同じ音楽の話ですから、薄皮をはぐように周りが見えて来ます。「はぁ〜、解ったようで解らなかったこの言葉は、こういう意味だったのか」とか、「ふん、つまりフーカ゛の前身なんだ」とか・・・ こうなって来るとどんどん面白くなる。
そして、藤原先生の主宰なさる演奏団体のコンサートを聴かせて頂く折が増えて。段々、真っ暗闇がほどけて行くのです。
久しぶりに、とても幸せな「学ぶ喜び・知らなかったことを知る嬉しさ」に浸っています。トシを取るのは「ヤダなー」と言うことも多いけど(鏡見るのが嬉しくなくなるしィ、走るのは億劫になるし、人の名前が出てくるまでに時間がかかることが増えるし・・・)反面、こうした新しい出会いのチャンスに、まっすぐ飛びついてゆける時間的自由が持てるのですよ。
イヤな事一つ、素敵なこと一つ。 いやーなことは、さっさと忘れるという、天与の才能を存分に発揮しているこの頃です。忘れさせてくれるものに出会える幸せ!
ある生徒が教えてくれたんです。「センセー、知ってますか?読みました?“ショパン”の新年号。ヤマハの銀座店で、11月に売れた音楽書・ベストテンに入ってますよぉ〜〜」って。
私は最近、音楽雑誌をちっとも読まなくなっていました。勉強の本は相変わらず貪婪に読むヒトなんだけど・・ で、この素晴らしい生徒さんは、速攻で現物を送って下さったんです。その時の私は。名古屋でお茶人の家にお籠り。とても珍しい、夜に行われる茶事の裏方に専念していたのです。やや「山籠もり状態」だった訳。音楽雑誌を買いに飛んで行ける環境ではなかったのでした。
で、家に帰ったらジャン!と「ショパン新年号」が私を待っていた。「書評も出てますよ」と、彼女は言ってくれたけれど、書評というより「悪くないから買って読んでみたら?」といった推薦文。これは嬉しいお扱いです。雑誌「ショパン」の皆さん、有難う!
まだ、お買い求めでない皆様、読んでやって下さいね。このHPから私にコンタクトして下されば、サイン入りにしてお送りしますから!!
音楽の読み方・さらい方勉強会 へのお誘い
新しい楽曲に向かい合うとき、楽譜が語っている“音楽”をどう読み解けばいいのでしょう。
従来の音楽教育の中で、不思議なことに一番置き去りにされて
きた、このポイントに、しっかり向き合ってみたいのです。
その次に大切な事。それは「どう、さらうか」です。
これも不思議なことに、新しい曲を生徒に与えるときに「こんな風にさらいなさい」と指示してくれる先生は、かなりな少数派。
これが問題だった、と私は考えます。
そこにメスをいれる勉強会を企画しました。お集まり下さい。
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取り上げる曲
? これはオプションですが、参加者の悩んでいる曲、さらい方を
知りたい曲の希望があれば、随時、相談に応じます。
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日程
2014. 4月スタート(現在2014.12月分まで決定)
10/19、 11/9、12/14。詳細は最新のお知らせをご覧下さい。
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場所 練馬区桜台 土田スタジオ(地下鉄有楽町線・徒歩4分)
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会費 3回セット券 10,000円 (代理出席 可)
1回券 4,000円
* 申し込み 当HPの「お問い合わせ」からお申込み下さい。
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