次々と!

この所、幸せな出会いが続いています。

 

どういうことかというと。ある日、PCを開くと「あなたの許で和声法を学び、以って自分の弾いている曲を自力で分析したい」

という、嬉しい希望が述べられいる。

私は本当に嬉しくなってしまうのです。これが、私が40年来望み続けて来たことだからです。

 

日本の音楽教育に、ひどく欠けていた事。それは「音楽において、技術と論理性は車の両輪だ」ということへの認識の不足です。

西洋音楽発祥の地ギリシャでは、学問のグループ分けのうち、音楽は「数学・哲学・音楽」という仲間に括られていたのだそうです。それなのに、それなのに・・・ 明治時代、怒涛のように流れ込んできた西洋文明。それはまず「軍事」への関心から始まった。

それはそうでしょう。一刻も早く産業を起こして国を豊かにし、軍艦を作って押し寄せるかも知れない外国から、国を守らなければ

ならなかったのですから。

西洋音楽流入史、をよくよく眺めて見ると。どうやら、音楽も一番初めは「軍隊の行進の歩調を合わせる為」とか、「一斉に行動を

取らせるための足並み揃え、又起床ラッパ」と云ったものへの関心から入って居ったようなんです。

 

しかし、次第に本質的な物への関心が芽生え、当時の秀才はヨーロッパで音楽を学んで帰朝。滝 廉太郎、山田耕作などの先人たち、又ピアノ、ヴァイオリンの奏者たちも続々と「西洋音楽」を学びに出かけました。

しかし、素敵な曲を書ける作曲家が出た割には、演奏部門の基盤を支える「楽器演奏を教える教師たち」に、一貫した理論教育を

与えなくては、と考えた先達は少なかったようです。

 

1945年、日本は悲惨な敗戦を経験しますが、音楽の面ではこれを境にそれまでとは比べ物にならない質と量で、「音楽教育」は

前進します。多量の楽譜という情報を我が国に伝えた(持ち帰った)桐朋学園の創始者の一人、井口基成氏。明治時代から日本で

唯一の官立音楽学校として、専門家教育を独占してきた「上野の音楽学校」(私の父なぞは"藝大"とは言いませんでした)に対して

桐朋学園が台頭したことは「戦後」の大きな前進でした。

 

しかし、戦後をリードしたこの二つの学校、又、戦前からあった伝統ある他の私立音楽大学に置いても、ほとんど同じレペルを

脱しなかったのが「音楽理論軽視」だったのです。

楽器会社の驚異的な台頭と、戦争からの復興が一段落した頃の国民の「文化的な物への憧れ」が見事に出会って、急激に勢いを持った「音楽教室」の群れ。そこではピアノが主役だった。そして「とにかく弾けるようにすること」だけが興味の対象だったのです。

 

でも。西洋音楽はその発生に置いて「思想を語る」ものであり、他の文化圏の人々が何世紀も掛けて構築し、磨き抜いて来た「思想・感情」を理解した上で演奏しなければ、それは「演奏」ではないのです。

 

私が大学を出て教師として働くようになってから今までの40数年の間に、一番変わったのは、この世界の先端を行く才能あふれる

演奏家が、その音楽表現のレベルの置いて世界のトップクラスに肩を並べ得る域まで進歩した、事が挙げられるでしょう。

 

これは本当に素晴らしいこと。しかし、私の関心はひたすら「普通の人々」に在るのです。標準的な音楽大学を出て、音楽教室で教えたり、個人で教場を開いて小さいお子さんを指導している人々。この方々こそが日本の音楽教育の最大面積を支えている訳で、彼等、彼女らに「音楽という車の両輪は・・」を心から理解して頂かなくては、私の切望する「聴いて解る・楽しめる・自分の意見を持った演奏」をする人は育たない。

 

そう思い、折ある毎に雑誌や本、自分の通信、今はHP、と書き、語って来ました。が、「誰も真剣には聴いてくれないや」と

ちょっとすねた気分になったり、いやいや人が聴いてくれないなら、聴きたいと云ってくれる人に出会うまで、かたり続ければいいのさ、と元気になったり。

そうした日々に、不思議やこの年末年始、立て続けに冒頭のように、私の家の「扉」をノックして下さる方が現れまして。

 

毎年恒例、「年末ジャンボが当たったら・・・」は常のごとく沈黙してしまったけれど、「こいつぁ春から、縁起がいいわぇ~~」

の酉年、となりそうです。

 

 



上田晴子プロジェクトin 滋賀

上田晴子プロジェクト in  滋賀 2016.

 

 そもそもの始まりは、私の上田晴子氏への傾倒でありました。

私が彼女に「一目惚れ」ならぬ「一耳惚れ」したのは、もう20年近く前のこと。自分が熱中すると、周囲に言いふらしまくる癖が幸いして、私の周りには沢山の「晴子さん熱病患者」が生まれた。そして「弟子」から更にその友人へ、と麗しい熱病は伝染して行って・・ 滋賀に活動拠点を置く二人の音楽教師がこの「晴子熱」を共通点として、彼女の姫路での講習会に通ううち、「我らの街でも、これが出来ないだろうか」と夢想し始めた。思い密かに姫路へ通い詰めることOO年。ある年、思い余ってポロリと「あのぅ、あのう・・滋賀へもいらして頂く訳には・・」このポロリから駒が出た。「せんせ、そりゃもう、エライ事がでけましてン」と電話を貰った私が驚いた。そりゃあ、まあ、よう発心したこっちゃ、と。 そして1年半の準備期間を経て201612月17日の公開レッスンと、18日のコンサートが実現したのです。 本当にこの二人の行動力は素晴らしい。そして「熱きこころ」の周囲には、その熱に突き動かされてくれる「熱きこころ」が。素敵な2日間でした。

 

まず初日。

 ‐5 の少女。バッハのインベンション・2声の2番。理解力に優れ、よく聴こえる耳を持った子で、将来が楽しみ。

◆ー匆饋諭ヽ擺鏖阿撚山擽擬爾旅峪佞気鵝ヘンデルのシャコンヌ

 大学2年生 ラベルの「鏡」から“蛾”

ぁ‖膤悖看生 リストの「バラード」

ァー匆饋諭(抒愧罎凌諭シューマンのソナタ g moll

Αー匆饋諭仝立中学の先生。  Vnとの合奏。 

ベートーヴェン・Vn Sonata No.8.1楽章

 

たっぷり、上田さんのレッスンを見せて貰って満足。さて、まだ明日がある! 何という贅沢だろう、と深く幸せな眠りを眠る。

 

12月18日 上田晴子の独奏を聴くという幸運。彼女はソロも素晴らしいのを私は知っているが、殆どの人は

彼女の室内楽しか聴いたことがないと思う。

 

・Brahms:  3つのインテルメッツォ Op.117

・Debussy: 「映像」から

      葉末を渡る鐘の音〜〜そして月は廃寺に落ちる〜〜金色の魚

2曲とも名演であったが、やはりDebussyの、あの繊細な音の色と、それぞれの性格を描き分ける「筆力」がすごい。

 

 休憩を鋏んでVnは「黒川 侑」。現在パリ在住の気鋭の若手であります。

上田さんの秘蔵っ子とも言うべき若者は、それは気持ちよさそうに、師匠のピアノとの自由闊達な“戯れ”を楽しんだ。更にサラサーテの「カルメン幻想曲」では、満開のテクニックを我々は満喫し、ラベルの「ツィガ―ヌ」は、見事な2人3脚、華やかに弾き切ったのでした。

見ていて、聴いていて、何とも爽快。演奏する、というのはこれ程楽しい事なのか、と思わせてくれる。聴いている方が燃えたって来、またほい、と地面に返されるようなスリルがあるのだ。素晴らしい若者とベテランとの競演に聴衆一同心から酔い知れた午後でありました。

 

 滋賀県栗東。京都からも少し離れたこの土地で、これ程までの音楽体験を提供して貰えたことを、本当に感謝しました。

仕掛け人二人、「意気に感じて」共に担い合ってくれたプロデューサー一人。そして、その周囲を固めた「助っ人たち」。

上田晴子さんから漏れた「本当に気持ちのいい方々に支えて頂いて、嬉しかったわ」の一言が、わが愛する軍団への最高の返礼であったと思います

 

奇しくも、この日12月18日は、私メのンンン回目の誕生日でもありました。

こんな素晴らしいプレゼントを頂けた誕生日は初めて。

有難う、皆々様!!!!!!!!!!!!!



驚異的な若者たち

 2016.9月3日。 とんでもなく素晴らしい若者の演奏会を聴きました。

 

Violin:  對馬佳祐(けいすけ)  Piano:  ジャン・ミッシェル・キム

共にまだ27歳。パリ国立高等音楽院大学院コースを終えたばかり。

 

この音楽会の4日前、8/29に本選が行われた「国際ルーマニアコンクール」で

他のすべてを抑えてグランプリを獲得したデュオです。

 

そもそもの発端は、我が敬愛する名ピアニスト・上田晴子さん(パリ国立高等音楽院

室内楽科+ピアノ科准教授)からの1本のメールでした。

「非常に優秀な二人の弟子が、日本で演奏会を致します。聴いてやって下さい。

忙しいあなたに足を運ばせても、決して後悔はさせませんから」というのです。

最後の1行がすごいでしょ?  あの、桁外れの音楽家に、こういう啖呵を切って貰える

お弟子さん、幸せだなぁ~~とまず嬉しくなり、私もあちこち宣伝。

 

加えて個人的な出会いもありました。ピアニストの自宅が、わが家から徒歩7~8分

というご縁。チラシの追加を手ずから持って来てくれた彼に、「ちょっと弾いて」と

厚かましいお願い。これがいいんだぁ!  すっかり応援団になって、切符売りにも熱が

入りました。「彼等は全部暗譜なのよ。あのエネスコまでも。」との合奏の師匠で

ある上田さんの言葉通り、ちょっと傍聴させてもらった練習でも、楽譜は一切使わない。

合せの練習って、我々だと、楽譜に書き込みがいっぱい出来て、必死に楽譜もにらみ、

相手もにらみ・・・になるものなのですが。

 

そして、当日。音楽の友ホールは追加の椅子が運び込まれる盛況。

演奏がすごかったんです。本当にガッキと組んだ二人の音楽が会場の空間を満たして。

 

* L.V.Beethoven   Violin  Sonata 「春」

* J.Brahms          Violin  Sonata  第2番 Op.100

* M.Ravel            Sonata Pour Violin et Piano

* G.Enesco          Violin  Sonata   第3番  Op.25

 

どれも熱演でしたが、殊に殊にエネスコがすごかった!! 誘った友人の評も一致して

そうでした。将に「火を吹くドラゴンのようだ」と思いながら聴いていました。

ラベルもよかったしねぇ。 帰り道、彼らの師匠・上田晴子さんとご一緒に電車で帰る

という幸運に恵まれて。「ラベルとエネスコはつい最近、卒業試験で弾いてますから、

特にみっちり取組めていますね」と伺いました。

 

いやぁ、演奏を聴いていない人に「よかった・すごかった」と言っても伝わらない、という

のも本当でしょうが、是非とも次の演奏会に足を運んで頂きたいのです。

對馬さん、ジャン・ミシェルさんのFace Book で日程は探せます。

 

私が聞いているのは、2016.12.21.  と 2017.2.2. 詳しいことはご本人へ。

 

 

 

 



2日間の自由

2016.7月31日。 初めて金沢新幹線に乗ってみました。きっかけは、親しくして頂いている「東本願寺・法主裏方」大谷

祥子さんのお誘いを受けて、金沢で行われる「飄逸の本願寺上人・大谷句佛」の講演を聴く為でした。語り手は哲学者・宗教学者、

山折哲雄氏。大谷句佛上人は、祥子裏方のご主人、大谷暢順氏のおじい様に当たる方です。 東本願寺を率いる宗教者であった一方で、生涯に2万句の俳句を遺した俳人であり、我が恩師・池内友次郎の実父、高濱虚子の愛弟子でもあられた。

句佛師のことは、その魅力的な俳画のお軸を通して以前から存じ上げていて、興味は持っていたのです。

しかし本願寺お上人の、そうした「趣味人」の一面に深く触れるチャンスもなく打ち過ぎていました。

 

私の師匠・池内友次郎は、高濱虚子の次男としてお生まれになりましたが「自分は新しい世界で」と若くしてパリに学び、日本に

初めてフランス風儀の音楽理論を伝えた人です。

彼自身、相当なレベルの俳人でした。

 

そんな師匠に、音楽上しごかれまくった青春でしたが、レッスンの合間の「問わず語り」にしばしば父上が登場したお蔭で、

私は一度もお会いしたことのない俳句界の巨星・高濱虚子を何だか親しい方のように思い描いてしまうのです。

 

友人に「ハイキングに行かない?」(俳句ing・だった!!)と騙されて始めた私の俳句歴も25年を越え、ますます俳句の

重みも、楽しさも解って来た所。

そしてたまたま、月例の京都・大阪・博多への仕事旅にくっつけられる日程であったことも幸いして、出掛けることにしたのでした。

 

 金沢は、オニのように働いていた現役時代、仕事を頼まれると実に行き難い街でした。汽車の便はよくないし、飛行場からも

遠い。行ってみれば大変魅力的な街なのに、さっと行こう、と思えない街だったのです。しかし、新幹線の威力というのは

スゴイ。東京からたったの2時間半!! 驚きましたねぇ。とても近くなった気がします。

 

講演は素晴らしく面白くて、ノート5ページが埋まる内容の濃い2時間。エラい学者さんの話は、大方つまらない、解り難い

もの、という気持ちはあったのですが、山折氏はまったく違いました。とても内容が濃く、しかも解り易いのです。

 

大満足で懇親会に臨みました。いろいろな方とお話をし、藝大の後輩にあたり、筝曲演奏家でもあられる祥子裏方のお弟子さん

(当日、合奏した)が、私の同志社で教えた学生の従妹である事が解ったり、「世間は狭いわねぇ」で盛上がって。

誠に充実の一日でした。

 

さて、翌日。かねて行ってみたいと念願していた、真宗・北陸の拠点「吉崎御坊」を訪ねました。ここは本願寺八世・蓮如

上人が、京都での諸事情からこの地へ来て伝道に務めた土地。北陸一向宗発祥の地となった所です。記念館の展示、ご説明も

面白く、上人の書を拝見出来たのも眼福でした。

 

とても交通の便が限られている土地なので、周遊バスを逃しては大変です。時間を気にしながらですが、「北前船記念館」を

見学。 江戸時代の水運の重要さを感じました。

 

「JR加賀温泉駅」から特急サンダーバードに乗って京都へ。 ここでは、久し振りの同志社時代の元学生や、京都の個人的な

古い弟子と久々の「女子会」!こういうのんびりした時間の何と美しい事。普段は動き回っても、仕事しかしていないのですから。

 

わずか2日間でしたが、とてもいい「命の洗濯」になりました。 歴史の教科書で習っていても、その土地を訪ね、その土地の

空気を吸って見る、考えることがとても大事なんだ、と改めて思いました。   2016.8.5. 記

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



少年たちの夏

中学3年生の孫がオーストラリアへ行くと言う。 学校単位の行事であります。

1週間という短い旅だけれど、生まれて初めての海外旅行は、最近の

我が家にちょっとした旋風を巻き起こしています。

 

私・この家の「おばばさま」は芯から外国旅行が好き。普段の諸々は節約に

相勤めてでも年に1度の海外見物につなげたい、という性格。しかし、まだ

14歳の少年が、区の行事に参加・連れて行って頂くというのは実に有難いこと

だと、一家で感謝。 しからば。必ず出るのが「日本文化紹介プログラム」

でしょう、というのでおばば様は張り切った、ネ。 

「一緒に行く子たちを呼んでらっしゃい」ということになって。折から、

もの凄い偶然なんだけど、夫の所へ料理を見習いに来ていた少年が同行グループの

一員である事が分かったのも「一服差し上げたい」の動機づけになりました。

 

さて、当日。175cmという見上げるような少年を含む、5人の少年少女が我が家に

やって来ました。中学3年の中心となる3人の少年に、「合流組」の中1と高2の

少女が2人。更にその母たちです。 全員、茶道の嗜みはほとんどない。

 

まずは、友人で英語のプロにチェックを受けた、英文での簡単な「茶道の紹介」を

皆で共有。あちらへ行って、何か聞かれた場合に備える。

そして、私の点前で薄茶を頂きました。 お茶の点前というのは、実演中に話を

するのはご法度。何故なら、人様に差し上げるお茶を点てているのですから、お茶に

何かが飛び込んでは大変ですから。 しかしながら今回は仕方がないので、横を向き

向き、「今、茶筅湯治と言って・・」と、動作の説明を加える。物の名前の解説と。

 

お茶の頂き方だけでも覚えて置いて欲しい、という日本における日常の願いと、外国で

「日本のこと」について聞かれたら・・の備えと。欲張った企画ですからこっちは忙しい。

 

でも、出掛けて行く少年3人は、実に吸収がよく、的確な質問をして来るし、おばば様は

大変嬉しく「ご機嫌サン」でありました。合流組少女二人も素敵で、美しくお茶を喫して

くれました。 

 

当今、茶の湯の世界も高齢化が激しい。元々、どちらかと言うと年配者が幅を利かせる

世界でありますが、私が若かった頃は(1960年代)「結婚前の娘の必須教養・その1」

であったのですがねぇ。各千家の家元でも危機感は持っておられるようで、様々、若者に

茶道を振り返ってもらおう、という試みはなされているようです。

が、なかなか一朝一夕には積み上がって行かないもののようです。私は実母が大変熱心に

励んでいたので、いつの間にか稽古をし、学生時代には強烈なスケジュールを縫って母の

師匠の許へ稽古に通った時期もありました。好きだったんだと思います。魅力はよく解って

いたのでしょう。

 

それにしても若者はいいですねぇ。爽やかです。まったく初めて茶席に座るのですから、

物慣れないのは当たり前。しかし、熱心に見習おうとしてくれるのが爽やかなのです。

少女たちも素敵でした。こういう若い世代と、お茶を稽古したいなぁ、としみじみ

思いました。 

 

お稽古の後は賑やかに食事。夫の出番です。この日のカレー・ライスは特段に美味しかった!

皆の華やいだ気持ちが、夫の鍋にも乗り移ったのでしょうか。

少年たちの健康な食欲がまぶしかった。こういうことも見ている我らを元気づけてくれます。

又、こういう会をしましょうね、と笑顔で散会。お茶を嗜んでいてよかったなぁ、と強く

思った夕べでした。

 

7月が終わる頃、彼らはどんな体験を土産に帰ってくるのかしら。その土産話がすごく

楽しみです。

 

 

 

 

 

 

 

 



久し振りの上田晴子、小林美恵とのデュオを聴く

2016.6.25. 待ちかねた音楽会を聴きました。

 

 わが敬愛する室内楽ピアニスト、上田晴子さんの演奏会です。今回のお相手は、互いを熟知している素敵なヴァイオリン・

小林美恵さん。

プログラムは「ドヴォルザーク: 4つのロマンティックな小品 Op.75」からです。

 軽やかに、匂やかに、二人は本当に楽しく遊んでいるような塩梅。自在な音楽の関わり合いが素敵です。

 

ベートーヴェン: ヴァイオリンソナタ 第10番 Op.96

  これは圧巻でした。 言葉でいろいろ書くことは難しいけれど、つい近日、上田さんにこの曲をレッスンして頂いた、という

若きピアニストが、休憩時間のロビーで私を見つけて「2楽章を弾き出された時、アレ?こんな風に弾けるんだ!こんな姿をした

曲だったんだ、って思ってしまって。涙が出そうでした」と言った言葉が、一番的確に、その日の演奏を語ってくれるでしょう。

 

気負う訳でもなく、さりとて流す訳ではなく。本当に互いを聴きあい、見つめ合ってするアンサンブルとは、こういうものなのね、

と。

 

ラベル: ヴァイオリン・ソナタ 「遺作」

 有名な、よく演奏される3楽章のソナタより、30年も前に書かれた、1楽章のソナタ。 ラベルらしく、緻密に書き込まれた

作品が、二人の名手によって解きほぐされ、二人して楽しみつつ、聴衆を一緒に音楽の歓びの中へ誘いこんでくれる。

「聴く幸せ」とは、こういうものか、と思わせてくれる時間だった。

 

フォーレ: ヴァイオリン・ソナタ 第2番 e moll Op.108

 この曲でもしかり。上田さんの音の色の豊かさ、リズムの自在! いつも相手の出方次第で「打てば響く」反応を用意

している、彼女の懐の深さが、小林さんの造形力と響きあって、本当に素晴らしい演奏だった。美恵さんの音の流麗さと

芯の強さ。相反するようでいて彼女に於いてはしっかりと、豊かに結びついているこの特質がまばゆかった。

 

こういう音楽会が聴ける、というのはなんという幸せだろうか。本当に感謝の気持ちでいっぱいになって、会場を後にした。

 

 

 

 



ポーランドという国

何だか、遊び歩いてばっかり、で恥ずかしいんですが。2016.1.23〜30.
ポーランドへ行って来ました。

これも人とのご縁でして。ある友人が「ポーランド航空が成田に直行便を
乗り入れるキャンペーン料金でね、凄く安いツァーがあるので行ってくる」と
話していたのです。ウーム、ポーランド。アウシュビッツ強制収容所
ミュージアムが予定に入っているという。 
私はとてもポーランドへ行ってみたく、このミュージアムにも行って
みたかったのですが、個人旅行で旧共産国の中でももう一つ西欧化のテンポが
ゆっくりなこの国へ行くことに自信が持てなかった。
更に、アウシュビッツへの道順を何回か案内書で読んだのだが、はて、個人で
行くのは難しいのでは?との思いが強く、今まで実現していなかったのでした。

これはチャンスかなぁ。万事「ひらめき人間」な所のある私。一人友人を誘って
参加を決断。家族や周囲の者たちは「この極寒の時期にぃ?」とあきれ、中には
「零下30度になる事もあるって言うわよ」なぞと脅す者もおりましたが。
30度はオーバーとしても零下10度には本当になるらしいです。この時期。

しかし、結局行ってよかった。
その理由は。私は「パックは嫌い」と決めつけていましたが、パックツァーにも
利点はあるのです。まず、今回のプランは極めてよく計画されていたことと、
添乗員の質が高かったこと、現地の日本語を話すポーランド人通訳の優秀さです。
個人では到底出来ない旅でした。勿論、やや強行軍のバス移動だとか、見物箇所で
「もっとゆっくり見たいナ」と思う場所もあったとか、ディメリットもありました。
しかし、アウシュビッツ・ミュージアムに行けたのは、ツァーでこそでしたし、
ここの日本人ガイド・中谷 剛氏の案内には心を打たれました。

本や映像で、幾度か見ていた展示物でしたが、現物を、その場所・とんでもない
事が行われた将にその場所で、自分の目で見るという体験は、ちょっと言葉に
し難いものでした。 自分が生まれた年、出生の11か月前に終わった悪夢。
おまけに我々が訪ねた2016.1.26.は、アウシュビッツ解放71年記念日の前日
だったのです。「明日の10時には、この場所にこの収容所の生き残りの方々と
その親族が世界各地から集まります」というスピーチ。「その最も若い証人は
今年71歳。解放の直前にここで奇跡的に生まれた赤ちゃんです」との説明。

何とも言葉を失う。誰一人、所内を歩きながら言葉を発する人はありませんでした。
休憩・質問の時間までは。

そして出発の朝、ホテルから歩ける距離にあった「ワルシャワ蜂起記念館」。
3度も「地図上からポーランドという国か消された」という歴史を知らされると、
日本という国の地理・地勢上の幸運に思いが飛びました。私自身は純粋な
戦後生まれ。しかし、戦争の真っ只中を生きた親に育てられた世代です。
決して同じ悲劇を見ない為に、もう少し自分の国の過去についても、ポーランドと
その周辺の国の歴史についても学ぼう、と思わせられた旅でした。
 


25年ぶりの台湾を旅する

2015年12月21日〜24日、3泊4日の台湾への旅をしました。
私共の俳句の友人で、中国語を熱心に学んでいる人がいます。
この方の発案で、我ら夫婦ともう一人の女性が加わっての道中です。
飛行機と宿だけを取って、後はのんびり、台北市に焦点を絞ってウロウロ
しよう、という計画。これまでの私の海外旅行は、プランを立てるその時間が
もの凄く充実している。将に目を血走らせて時刻表やら案内書と首っぴき!
だったんですが。

今回は「ホントに明後日出発なのぉ?」と、同居の孫たちが訝しがる程のんびり
構えていました。この「きっかけつけてくれた人」の面倒見のよさ!
我ら夫婦に+1の彼女も、皆で「OOさぁん、どうすんの?」と、母鳥の狩りの
成果を大口開けて待っている「燕の子」状態。
生まれて初めて、「人様に連れて行ってもらう旅」の醍醐味を味わいました。

早朝の羽田空港を飛び立ち、台湾・松山空港まで正味2時間半。空港からホテル
までは車に乗ったと思ったら降りる、という至近距離。まだ午前10時です。
いいですねぇ、近いってのは。荷物を預かってもらってすぐに、地下鉄で「故宮
博物院」へ。ここがお目当ですから。私は25年位前、年上の弟子一人と「女二人
テクテク旅」を致しました。しかし、台湾への二人旅・はあまりお勧めで出来
ません。その訳は食べ物。やはり中華料理は沢山で食べないと。ねぇ。

「故宮博物院」も平日の午前中とあって、比較的楽に見物出来ました。
少し前に、日本にやって来て巡回した同院の「宝物展」のお蔭で、NHKが
丁寧に作ってくれた解説番組を見ていましたから、種々の展示物の見方も解り、
助かりました。

何せ、早朝の出発であった為に、一同お疲れが。そこで一旦ホテルに引き上げて
ひと眠りしてから、夕方街へ出よう、と一決。料理人である夫の一番の楽しみは、
「街歩き・・食べ歩き」だからです。
我らが「案内人殿」は、昨年、1週間の語学研修に台北にご滞在。ですから情報は
ホットです。あっちの角、こっちの街並と美味しそうな屋台を冷やかしては、
ちょっと一口喰い! これって最高に楽しい。
仕上げに入ったお店が、いわゆる「台湾小皿料理」で、おいしかったなぁ。
こういう場合の店選びには、夫の“鼻とカン”が活躍します。

面白いことに台北では、酒を出すのはしっかりした構えの「レストラン」であって、
私たちが食べ歩く「屋台風」の店では酒を飲ませない。何か法律の規制があるので
しょう。そこでたっぷり楽しんだ後はホテルヘ戻ってワイワイ・ガヤガヤ「部屋呑み」
を楽しみます。有難いことに、台北では日本のBSテレビが見られますし。

二日目。人気の「九份」へ出かけました。幸い快晴に恵まれて、歳の暮れだというのに
暑いほどの陽気です。これは楽しいイクスカージョンだった!いろんな面白いものに
出会いましたが、わたしが最も興味を惹かれたのは、日本統治時代の「金鉱山の跡」
でした。大きな鉄格子で閉じられた向うに続くトロッコの線路。草むしたその風景に
戦争・を思いました。

三日目。案内人殿と夫の事前の相談に従い、「台湾大学」へ。夫の願いは「外国の
大学の学食へ行ってみたい」というものでした。
台湾大学は、日本統治時代には「帝国大学」であったのです。今でも台湾第一の難関
校だとか。折しも、我らが行った時は昼少し前で学生さんがどっと授業から食堂へ。
明日はクラスマス・イヴ、日本では「天皇誕生日」(ここでは関係ない・ですね!)
ですが、どうも台湾では「春節」こそ大騒ぎだが、クリスマスはさしたる事もない
らしい。デパートなどに飾られたクリスマス・ツリーは華麗ですが、あれは商売用
という事のようです。大学には常の日々。 食堂にやっと席を見つけて、男たちが
買い出しに、女二人は席の番兵。運ばれてきた「お弁当」には山盛りの料理。
流石は世界に冠たる食いしん坊の国の、将来のエリートたちを養う食べものたち!
何でも、100gいくら、で夥しい種類の料理が並んでいるのだそう。均一値段だから
思い思いに器に盛りつけて、重さを計った貰って支払う、というシステムなんだ
とか。食事の跡で「おまいさんも見て来いよ、後々の土産話に」と促されて女二人、
見学に。確かにどれもこれも食べてみたい、と思う美味しそうなおかずたちでした。
お値段は安い!! いいわねぇ、学生さん。

デザートのアイスクリームを頬張っていたベンチで。ふと見ると立派な図書館があります。
「へぇ〜。立派ねぇ。入れはしないでしょうねぇ」と私。「聞いてみましょうか?」
と案内人殿。で、入れたんです!パスポートを預ければ。
私は「入った所で、何も読めはしないんだけどさぁ・・」と思いながら、唯、立派な
建物と、静かな雰囲気を楽しんでいた。と、「四庫全書はあちら」の看板。
えっ?四庫全書?そんなものが、ここにあるの?と飛び上がる思い。勿論、私には
「猫に小判」の最たるもの。でも、でも。清の最盛期を築いた乾隆帝が、広大な
中国の隅々まで使いを送って集めさせた、という世界最大級の叢書である、という
事は学校で習ったことがある。 ちょっとドキドキするじゃありませんか!

件の書庫の前に立つと、シンとした気分。まずは「経」の部門の手近なものを手に取る。
開いた所で読める訳もなく(楷書の漢字が並んでいるのですから、字そのものは読めますが
ねぇ・・)でも、何だか勝手に満足しておりました。すごいよねぇ。コピーだなんて
しょうもない道具は無い時代です。みんな、手で書写したのですよ!ここにあるのは
そのまた、写しなんでしょうけれど。“台湾まで来た甲斐があったぁ〜〜”と思いました。

更に。台湾大学では面白い出会いがありました。校内を歩いていたら「ピアノ倶楽部音楽会」
のポスター。それが何と今夜(12/23・18:30開演)なんです。わが「案内人殿」も
趣味でビオラを弾く、という人ですから「聴きに行こ・行こ」と即決。疲れてしまって
「ホテルで休んでる」という夫を除く3人で出かけました。
いやー、面白かったですよ。台湾で聴く、学生さんの「西洋音楽」。楽しい旅でした。

























 


明けましておめでとうございます

 東京はよく晴れて温かく、とてもいいお正月でした。
私たちは、軽井沢の親類の家でのんびり、ゆったりのお正月。しかし、異常に温かいので
近くのスキー場は大弱りの様でしたよ。

何回か滞在させてもらっているのですが、今回は「旧軽井沢」のあたりを散歩。まぁ、規模の
大きいお宅が多い。こういうのが「軽井沢の別荘」というものなのね、と妙に納得。
「万平ホテル」でお茶を飲んで来ました。雰囲気・従業員の教育の行き届いていること、流石
名門ホテル、と感心しました。

急がない時間、ていいものだなぁと改めて思いましたね。

東京へ戻ると、年賀状の整理やら、諸々の仕事上遊び計画上の連絡やらスケジュールの確認と相手との連絡などに追われる、日々の暮しが再開です。 この「のんびり時間」と「いつものきびきび時間」のメリハリがいいのです。

さて、今年もどうぞよろしくお願いします。    2016.1.8.


草津音楽祭を聴いて来ました。

  いささか、古い話になって恐縮ですが。

 2015.8月。随分前から行ってみたかった「草津音楽祭」を聴いて来ました。

きっかけは、博多で私の「和声法クラス」に参加している子が、フルートで受講する。その為に「受講曲の分析を見て下さい」と言って来たことでした。どおお? 皆さん。この私の「自慢の弟子」って素敵でしょ?

「だって、こんな素晴らしい音楽家に見て頂けるんですもの、曲をきっちり解ってからでないと、とても吹けないんですもの」と云ったのです。すっかり嬉しくなった私、彼女と一緒に一生懸命勉強しました。とても楽しい時間でしたよ。

 

そして、草津へ。この音楽祭では、参加・出講している音楽家が毎晩音楽会をします。私も着いた日を含めて3晩聞かせて貰った。そして、「わぉ!キャッ!と思った音楽家のレッスンに潜りこんだんです。普通は入れてもらえないらしいんですが、主催者側にちょっと知り合いがいたものですから。

 フルートの先生はカール=ハインツ シュッツ氏 という、ウィーンフィルのトップ・フルーティスト。まだ30代終り頃かと思われる若さですが、本当にいい演奏家で、私のこの楽器に対する認識を塗り替えてくれました。「フルート、ってこんな音のする楽器だったんだ」って。

又、そのレッスンが素晴らしい。毎朝、個人レッスンに入る前1時間「ウォーミング・アップ レッスン」と称して基礎の基礎、スケールを吹かせる。これがいいんですよ! 私のようにまるでこの楽器を吹けない人間が聴いていても「なるほど、そういう風にさらうのか」と思い、時々「君、そこ吹いて」と指名される受講生の小さな進歩が理解できるのです。そして、音楽的に絶対に譲ってはいけない所、基礎技術の「揺るがせにしてはいけない部分」を若い人に叩き込もうとしている。見ていて小気味がよかった。

後に。参加していた旧知のヴィオラ奏者、ジークフリート・フゥーリンガー氏と共に東京の自宅に来て下さって、一夜、夫の日本料理を楽しんだのですが、誠に人間的魅力にも溢れた方でした。

 

更に、ピアノのクラス。ここでは、3人の若い人を聴いたのだが、「基礎訓練をもっと積み上げてから、こういう人のレッスンに臨もうよ!」と心の中で叫んでいました。選ぶ曲が大曲過ぎるのです。(我が家への道すがら、フルートのシュツ氏とその話になりましたら、彼も、フューリンガー氏も口を揃えて「それは大きな問題だ」と言っていましたね。)それと、私が毎日自分のスタジオを訪ねてくる生徒に言い続けていることを言いたくなったの。

「ねぇあなた、ピアノの前に座る前にもっと楽譜と向き合って!」って。「楽譜」には、作曲家からのメッセージが詰まっているのですよ。

例えてみれば、これから舞台に上がろうとする役者が、その劇の筋立ても、自分がそこで演じる役柄も全く知らないで、(音符という)セリフだけを棒読みにしゃべっている。そんなことにはなりたくないでしょう? 

 楽器の無い場所で、「じっくり楽譜を読む」という習慣をつけて欲しいのです。

それに必要な道具が「和声法」! この曲の構成は?  転調はどこで起こり、それはどんな波乱を音楽に起こしているのか。この調、このフシ、この音型は何を言おうとしているのか。まずは落ち着いて考えてみて!と思いました。

先生たちのご注意、提案、アドヴァイスを受け止めるには、唯「さらう」、「指が廻るようにする」だけでは十分ではないのです。

「曲の内容をつかむ」準備をまず先に。 それから指の面倒を見て欲しい。

 来年は、もっと時間を取ってじっくりと参加したいと思っています。

そして、来年の参加を考えている若い人に提案。「受講準備会」をしましょうよ。ほんのちょっとの努力、「音楽を読み解く」準備を整えてから出かけて行ったら、そうでないより何倍ものプレゼントを講師の方々から頂いて帰れると

思うからです。

もう間もなく2016年が参ります。動き始めましょう!!

 

 



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